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餡の薬草採取

「だから、ね? 私も連れて行ってほしいのよ」
「……あの、さっきから言っているように私の秘密の場所なのですが」
「そこをなんとか」

 ……そのやりとりは、そう……期間にして一月ほど続いていただろうか?
 そしてきっかり三十と一日の後。
「……解りました。道中を目隠ししていただけるなら、同行して下さっても構いません」
「ありがとう! だからプラリネちゃんって好きよ!」
 そんな嬌声と共に黒髪の女性が銀髪の女性に抱き付こうとしているのが、目撃されたという。


「――で、なんですか。貴女達は」
 その、敢えて言うなら『一人だけを連れて行く積もりが集合場所に他の人も来ており、しかも着いてくる気が満々だったりする』時のような声が、彼女ら……すなわち餡とプラリネの、集合場所に膨らんで消えた。
 その声の主は、銀髪を肩の辺りまで伸ばした、知的、と言う言葉がすんなり填る女性であった。
 銀を主とし、所々に黒と赤のあしらわれた制服――すっきりと表現するか地味と表現するかは人によるだろう――に身を包み、右手首には材質不明の金属のような装飾品を着けている。
 18という若さとは少々不釣り合いな、落ち着き払った雰囲気が印象的だ。
 名を、プラリネ・アルマードという。
「餡さん。私は、あなただけを連れていく積もりだったんですけれど、ね?」
 さらに言葉を連ねつつ、プラリネは現状に至るまでの経緯に、思いを馳せた――。
「あら、そんなに私を連れて行きたいのね? 嬉しいわ」
 とりあえず、聞こえてくる雑音からは耳を塞ぐことにして。


 時は五週間ほど遡る。
 先の場面でプラリネ嬢と会話していた女性――龍之宮餡――は、目の前の惨状に対して頭を捻っていた。
「――どうしたものかしら。呟いても状況は好転しないと解りつつも呟いてしまうのは人間の性とは言え無駄なことこの上ないわよねホントに――」
 本人の頭も程良くオーバーヒート、もといヒートアップしているようである。

 龍之宮餡。21歳。
 目立つほどではないが整っている容姿に、出るところや引っ込むところの目立たない体型で――性格の方は無邪気の意味を取り違えたとしか思えないマイペースぶり。
 彼女を知っている人は、腰まである長い黒髪が強く印象に残っているに違いない。

 それはさておき。
 彼女の顔は、目下机の上に広げられた器具類に向けられていた。
 瓶、匙、包み紙、フラスコにバーナーなどの解りやすい物に始まり、すり鉢にすり粉木や、船状の器に、持ち手の着いた円盤が乗っている器具――薬研(やげん)、と言うらしい――、果ては呼び名はもちろん、用途も杳として知れない(←洒落)物も置いてある。
 察しの通り、薬を調合する場である。餡自身は、『キッチン』などと呼称しているが。
 薬を弄る行為、これが餡の趣味なのである……が、彼女の顔は現在、お世辞にも楽しそうには見えない。
 彼女が笑顔を顔から消すのは、はっきり言って珍しい――が、『キッチン』をよくよく眺めれば……なるほど、と判る物がある。
 正確に言えば、無い。
 ――詰まるところ、薬になる物質が存在していないのである。
 瓶やフラスコなどは完全に空。水滴の一滴も付いていない。すり鉢や薬研、その他諸々の器具も綺麗なものだ。
 この状況を打開するには、兎にも角にも採取に出かけなければならないわけだが……

 生憎と、彼女は現在自室待機を命じられているのだった。むしろ事実上の謹慎処分と言える。
 と言うのも彼女、いい加減に出来るところはいい加減にやってしまうところがある。
 この為に、前々から上には良い印象を与えていなかったのだが……先日、酷くいい加減なレポートを出したことが止めになったらしい。

 ――暫くの間、別命あるまで待機。この間、行動範囲も制限する――

 この命令を言い渡したのは、餡がことある毎にからかって――本人に言わせれば、遊んで(どっちもどっちだ)――いた上司である。
 直属に近い位置にいる上に古参のため、少なからず餡以下エンジェル隊の面々に影響力を持つ人物である。
 給料日も近い。――下手に逆らうのは上策とは言い難かった。
 まあ、以前に作った物を弄ったり、対人の趣味(からかうこととか煙に巻くこととか)の時間を増やせば乗り切れる程度だったから、さほどの問題はなかった。
 ……が、矢張り少なからずは欲求不満になっているわけで……。

 そしてそんな最中に耳にしたのだ。
 プラリネ・アルマードの、採取場の話を。
 外出禁止によりねじ曲げられた、鬱屈した好奇心は……見事に対人の趣味と相まった。
 反動、と言わんばかりにプラリネのみを対象とし始めたのである。
 プラリネ以外のエンジェル隊員(あと上司とか)は、プラリネに合掌しつつも安堵していたという。

 で。時は現在に戻ってくる。
「いや、だから。真面目に止めて下さい。それに、絶対安全と言うこともないんですから」
「あらまぁ」
「――――人の話、聞いてます?」
 プラリネの声の音程オクターブが一段階下がった。
 流石にそれで、真面目に話そうとしたのか……それともこれ以上弄ると後が厄介だと思ったのか――そしてほぼ間違いなく後者だ――、餡は一旦言葉を止めて、
「そうねぇ……そう言うことだから、悪いんだけれど……」
 一緒に立つもう一人の少女に向けて、探るように声を掛ける。その少女は、かくかくと頷いた。
 先ほどからプラリネの一触即発の気迫に中てられて、割りと参ってしまっているのだ。
 その少女は、わざわざ疎まれている中に飛び込むような無神経さは持ち合わせていない。  さらに、プラリネの『安全ではない』という発言である。積極的に行く気が失せるのも無理はなかった。
「ご免なさいね。今度、この埋め合わせはするから……」
 一寸した悪戯を誤魔化すかのような気軽さで、餡が片手で拝むような仕草をし、舌を出して片目を瞑る。――誤魔化しているつもり、らしい。
「じゃあ、餡さん。行きますよ」
 目隠しに使うのであろう、細長い布を片手にプラリネが急かす。既に彼女は、自らの紋章機である、リキッドアルケミーの中にいた。
 その姿を見、餡が少し変な顔をした。――変なことを言いそうになって口を噤んだらしい。
 彼女にしては珍しい――あるいは、それほどまでにこれから行く薬草採取場が魅力的なのかも知れないが。ともかく、
「はーい」
 とだけ答えて、餡もプラリネの後を追った。

 トランスバール皇国軍、エンジェルフレーム発着所。
 一機の、風変わりな二人組を乗せた、その風変わりな紋章機が飛び立った、直ぐ後で。
 ただ一人の少女が残されていた。
 遠目からなのでその声は聞こえないが、一言二言呟いて、踵を返し。
 そのまま、何処かへと消えていった。

 その少女の名は、クーリエ・ヴァディロス・パステルと言った。


 さて。そんなこんなで薬草採取へと向かった二人だが――その内容は、残念ながらプラリネに堅く口止めされたらしく、世に語られることはとうとうなかった。
 が、“実入りが良かったので、その代償として”口止めを快諾した、と言う訳でも……半分くらいは、ないのかも知れない。
 それは、その後の彼女たちの関係に注目すれば、何となく解る。
 どことなく、敬意じみたモノが見え隠れしているのだ。
 それに注目するのも楽しそうではあるし、具体的な話の種には尽きることがない、のだが……

 それらは、ひとまず――また別の話、と言う事にしておこう。



 そんなわけで……
 今日も今日とて、〈白き月〉は平和なのだった。



龍之宮餡の日常:餡の薬草採取>>>finish.