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餡の模擬演習
龍之宮 餡の、模擬演習。
これは、既に軍の中でも――一部の者に、ではあるが――恒例となりつつあった。
実力が疑わしいのだ、実に。
攻撃兵器をまったく搭載していない機体、“ミラーミラージュ”。
さらにパイロットが“みらみら”などと呼称していればその不安の増すことは受け合いである。
……まぁ、そんなわけで。
新しく彼女を知る者が出る度に、彼女は模擬演習に駆り出されるのだった。
それで実力を示せなかった場合、すぐさま彼女は解雇される……とかなんとか。
何だかんだ言って、留まることを知らないかのように増えていく天使達の処遇は上層部も決めかねているようだった。
それは兎も角……。
「それじゃ、お手柔らかにお願いしますね」
のほほんと、柔らかな微笑と共に宣言したのは、一人の女性。
十人並み、いや五人並みくらいな顔立ちと、腰まで伸びた黒髪。
これから、模擬演習とはいえ戦闘をするようにはとても見えない気楽な雰囲気。
……龍之宮 餡である。
今、彼女の前には皇国の機体がずらり、十機。
通常、紋章機は通常の機体を複数相手にして互角に戦えるという名目だが……少々過剰では、ある。
普通の神経の持ち主なら、すぐさま回れ右をしても良さそうなものだ。
しかし、調子が良いときならば……それこそ十倍の相手を前に互角に戦えるほどの能力を秘めているのが紋章機である。
加えて。
彼女だけでは攻撃手段が無いので、実際の所は味方もいる。実質、一対五……これくらい、演習ならば出来てもらいたいという、上の思惑だろう。
そして、餡は後方にいる唯一の味方に声をかけた。
「シャルちゃん、頑張っていきましょう」
唯一の味方である、オレンジ色の紋章機。“パピヨンウィング”に乗っている、彼女は……シャルル・バンガード。
普段は闊達な少女であるが……今日はどことなく不安げであった。
今まで特に親しい覚えもなかった餡に声をかけられ、しかも一緒に模擬演習に駆り出される運びとなったのだから、当然と言えばその通りである。
ちゃん付けという軍にあるまじき呼称は無視し、言った。
「……やっぱり変ですよ! 何であたしなんです?」
……この期に及んで、まだ教えていないらしい。
「……教えて欲しい? どうしても?」
どことなく含みを持った、餡の声。
「ええ。集中できません」
嘘である。剣で舞う者として――普通に剣で戦う場合も同様だが――集中力は鍛えてある。
それを知ってか知らずか……とにかく、餡は口を開いた。
「……20面ダイスを振ったらね、14が出たのよ」
「………………は?」
思わず口を開いて聞き返す。ちなみにシャルは、二十番目のエンジェル隊員だ。
そこから初期エンジェル隊の六人を引いたとき、彼女は……当然、十四番目になる。
……サイコロで決めたのかこの人は。
そう思ったのが顔に出たのだろうか。餡は心持ち笑みを深め、言う。
「変かしら?」
「変ですよ」
即答。多分に呆れの含まれた声音で言い返した。溜息を吐く。
若干俯き気味になった目を、前に戻す。と――
――皇国軍艦隊は既に戦闘態勢に入っていた。
「始まってるっ!?」
シャルが叫ぶ。餡はと言うと……。
「あらまぁ、せっかちさんねぇ……」
彼女もまったく備えていなかった。
数機が――数えている暇など無い――ミサイルを放ってくる。
「餡さーん!?」
……餡に。
流石にいきなり連れてこられたシャルを狙う気にはならないらしい。
あるいは、これが飽くまで餡に対してのテスト故か……。ともあれ。
「あら……」
少し困ったような声音。追尾機能を備えた弾は、見る見るうちに彼女へと――みらみらへと――迫っていき……。
シャルの“パピヨンウィング”のモニタに、ノイズがかかる。
そしてその一刹那後、爆発が起こった。
「? って、餡さん!??」
一瞬だけ怪訝な顔をするも、そんなことに思いをやる場合ではないと思い直し……餡の名を叫んだ。
……即答された。
「なぁに?」
後ろから。いつの間にか、真後ろ……それもつくかつかないかという距離に移動している。
「きゃあぁっ?」
飛び上がる。深呼吸一つ。
吸って、吐いて。
それで平静を取り戻し……シャルは餡に尋ねる。
「……いつの間に後ろに?」
「さて何でかしら?」
餡はとぼけた。
「とぼけないで下さいよぉ……」
実のところは、ミサイルの誘導、電磁波での撹乱(ノイズはこの為である)、隙間を縫って移動、 誘爆……そしてその爆風でここまですっ飛んできたのだ。
……いや、その後の、一瞬で後ろにくっつくという曲芸は……完全に餡の操縦技術の賜物ではあるが。こういう無駄なことはよく練習している。
とにかく、そんな説明をしている場合ではない、と言う建前を盾に――ちなみに本音は『その方が楽しそうだから』である――、餡はその質問を黙殺した。
「さて……と」
そして、その呟きと共に。
なんの予備動作もなくみらみらが真下へと下がっていく。上部のブースターを全て作動させたのか、その移動速度はやたらと速い。
速いが……しかし無駄話をしていない分、皇国艦隊の方が数段に速いわけであり。
その頃には既に攻撃の第二段――ビーム――に入っていた。
「餡さんっ!?」
非難、不安、怒号、悲哀……とりあえずその時に浮かんだ感情を全て乗せて叫ぶ。
しかし……答えは、生憎にもまったく変わらない餡の声であった。
「〈銀色の花嫁〉」
〈銀色の花嫁(シルヴァーヴェール)〉。実は“ミラーミラージュ”の塗装部分には特殊金属が使われており、どういう仕組みか、電気信号でその塗装部分が大きく展開し……光学兵器を無効化し、あまつさえ跳ね返せる。
光学兵器相手に、何故後の先で対抗できるのかは関係者一同が首を捻るところではあるのだが……ロスト・テクノロジーだからと言ってしまえばそれまででは、ある。
とにかく。
今回はちょっと気張ったらしく“ミラーミラージュ”と“パピヨンウィング”両機を護るように塗装が展開していた。
こんな薄っぺらい膜――透き通っている――一枚で、到底防げるようには思えないが……現に目の前でここまで効果を発揮されてみると……
なんとかとはさみは使いようと言う諺が脳裏を過ぎるシャルであった。
“ミラーミラージュ”、“パピヨンウィング”両機は無傷。皇国艦隊十機の内、半分が反射されたビームにより危ういところまで被害を受けている。
「……見事にはまってるわねぇ……」
〈銀色の花嫁〉を解除している――再び塗装を身に纏っている――“ミラーミラージュ”からの餡の声が響く。
微かに呆れたような調子が混じっているところからして、彼女にとってもこの結果は行き過ぎた物だったらしい。
呟く。
「みんな一斉に同じ攻撃したら、こっちの格好の餌食なのに……」
その声が届いたのか、あるいは連携を取る余裕もないのか。……恐らくは後者だろうが、残りの五機はそれぞれが攻撃態勢に入っていた。
半ば以上に特攻精神が混じっているらしく……残りの武器を全て撃ち尽くそうとしているかのような気迫に満ちている。
そういえば、この模擬戦には窓際族が駆り出されているとかなんとか。上下社会の辛いところである。
そこまで考えたところで、餡は次の動作に入っていた。
「まぁ、どーでもいいわね……シャルちゃん?」
「なんです?」
「そろそろあなたにも働いてもらうわ」
「……あの怖いおじさま方を迎え撃て、と?」
「ぴんぽーん」
「いや、ぴんぽーんでなくて」
「大正解」
「熟語に直されても……って、そんな事じゃなくって! 無理ですよ! 相手は五機ですよ?」
「ええ、あの生命力は脅威よねぇ……」
「ゴキじゃなくって!」
声がだいぶ歪んでいる。
最早泣きそうなシャルの声を聞きながら……しかし餡の両の手は素早く機器を叩いていた。
ピ、と言う短い電子音と共に、“技”が発動する。
「はいはい、もう準備は終わったから。大丈夫、泣き虫さん達にあなたは見えないわ」
「……え?」
ふと、改めて見れば。皇国艦隊(残り五機)は……前が見えないかのように、その進路が安定していない。ぶつかりそうですらある。と言うかほとんど惰性で動いている感じだ。
銃器系統も同様に、明後日の方向目掛けて飛んで……光学兵器は上手く収束せずに、霧散していた。
「ほらほら、行ってらっしゃい。あんまり効果は長続きしないわよ」
「は……はい!」
つまり、仕留めるなら今の内……そのことに疑問を封殺されつつも、“パピヨンウィング”は高速で艦隊に迫っていく。
残りの五機が戦闘不能になるまでに、それほどの時間は必要としなかった。
全ての艦が墜とされたところで――頬杖などつきつつ――餡が呟いた。
「〈滲む視界〉、と。……まさかあそこまで上手くいくなんてねぇ」
「自信なかったんですか!?」
耳敏く聞きつけたシャルが叫ぶ。涙目で。
「兵器まで狂わせられるかが、ね」
〈滲む視界(ティアー・ドロップ)〉。外部と連絡している装置――モニターから索敵系統まで――に、強力な妨害をかける技である……言うのは簡単だが、実際やるとなると馬鹿みたいな労力を要する。
そして、ついでに言うと実際の効果も期待できない。代償と効果に釣り合いがないのである。
……普通は、だが。
“ミラーミラージュ”は、乗り手のテンションで妨害電波の出力が変わる。
そして、高い時に使えばその効果は代償を補って余りあるものになるのだ。
ちなみに低い時にやると、目標への指向性が大幅に鈍り……最悪自分(味方は勿論のことである)まで巻き添えになると言う馬鹿らしく笑えない結果に終わる。
今は、“パピヨンウィング”にまでは効果は及ばず、丁度良い出力を発揮できたらしい。
しかし――
「そこまで出来なかったらどうするつもりだったんですか?!」
もはや敵はいないと言う安心感からか、シャルは餡の追求へと意識を集中させてきた。
「そう怒らないで……。実際、他に手段はなかったんだし」
「それは……そうですけど……」
確かに、あの状況で共にいるのが“ミラーミラージュ”でなかったら、危ないところではあった。
餡はさらに続ける。
「シャルちゃんも、怪我もなく終わったんだし良かったじゃないの」
「……そうですけど……何か違和感が……」
何処か腑に落ちないらしい。
「付き合ってくれたお礼に、お寿司でも奢ってあげるから」
「う……」
シャルが固まる。好物を只で食べられる……食い意地が張っていなくとも、貧乏性でなくとも、多分に魅力的な報酬では、ある。
「迷惑かしら? なら良いんだけど……」
少し悲しそうな声音を滲ませて、餡が提案を下げようか、と聞いてくる。
それに対する、シャルの答え。それは……
「いえそんなことはありません是非とも宜しくお願いします」
……即答であった。
こうして彼女は、一生気付くことはなかった。
『そもそも餡がいたからこんな危ない目に遭わされたのだ』
と言う事に。
その後。
「お代わりお願いしまーす」
「あ、あたしもー」
(中略)
「じゃあ私も」
「…………よ、よく食べるわね、みんな……」
気付けば、どういうわけか餡はエンジェル隊の大部分に対して奢ることになっていた、のだった。
餡が、その代金を無事払うことに成功したか、どうかは……また、別の機会にでも語るとしよう。
まぁ、そんな感じで……
……おおむね今日も、〈白き月〉は平和だった。
龍之宮餡の日常:餡の模擬演習>>>finish.