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陰謀及びその先の予兆


 例えるなら、それは――何かをひょいと捨てたとき、たまたま見ず知らずの人とばっちり目が合ってしまった――そんな気まずさだったことだろう。
 どんなに、規模が違おうと。

 捨てたものが、自分たちの星で。
 見ず知らずの人が、何の力も持っていないような小娘であっても。





 耳の外で、同じ演目をこなす少女たちがせわしなく、だが小声で会話している。
 耳の外で、と言う表現には違和感が付きまとうが、これは実際の私の主観として感じられたことで間違いなかったので仕方ない。
 要するに、私は緊張していて、混乱していて――周りが見えていなかった。
 私にとってはいつものことだ。
 一つのことに没頭すると、他のことに関しては完全に意識の外に行ってしまう。
 見えなくなるわけではない。かといって積極的に見ることは出来ない。
 後に、この状態について誰かに話してみたら、
「集中力が高いのね」
 と言われてしまった。
 余り褒められている気はしなかったが。
 ともかく、ここで重要なのは私が全く他のことに目が向いていなかったことにある。
 この時、周りの様子が少しでもおかしいことに気付いていたとすれば。
 また、話は少し変わってくるだろうに。

 この時。
 どうやらここ、ドーゲのお偉いさん方――と言っても、人に使われるくらいの――が私たちの様子を見るべく、視察に来ていたらしかった。
 そのこと自体は後で聞けば『ああ、喜ばしいことだなぁ』と思うくらいには、龍之宮サーカスの経営は上手くいっていなかったし――そして、それくらいは薄々でも感じていたので――、きっとそう思ったことだろう。
 でも、この時の彼らは私にとっては一部の隙もなく異物でしかなく……それ故に私は彼らに敵意、ないしは悪感情を抱いた。
 酷く単純な話だ。例えば、自らの群れに肉食獣が近づいてくることを知らせる戦慄きのように。
 彼らの企みを挫くことが、私の使命だと言わんばかりに。


 それが、自分の居場所を壊す選択だとも知らずに。


 練習が一区切りついて、私たちはそれぞれに休憩を取っているときのことだった。
 無論、私はどの会話にも加わることもなく、漠然と体を休めていた。
 そんなとき、耳に入ってきたのが――こんな声。
「そういえば、さっきの変な人たち……何だったんだろ?」
「まだ、戻ってきてないよね?……同じ道から戻って来るって保証もないけど」
「ホントに変な人だったら、イヤだよねー」
 何か企んでたりして……と冗談混じりに呟く声に、こわーい、と、これまた冗談混じりの声。
 それで、その話題はお終い。
 充分に怪しげな情報であり、そして大事なところが欠けている。
 つまり、私がその衝動に突き動かされるには絶好の情報であり、情報量であった。

 要するに、魔が差したんだろう。
 私のその後の行動を見る限りでは、それ以外の感想が浮かんでこない。
 その『変な人』たちが何を企んでいるのか……企んでいないにせよ、何を考えているのか。
 それを知るべく動いていた。その衝動を、満足させるべく。
 その衝動、と言うのは、つまり、噂をしていた彼女たちより詳しい情報を手に入れたい……。
 英雄願望と言えば、近いかも知れない。
 でも、もっと単純に考えれば、恐らくは、
 ――彼女たちと話をするきっかけが欲しい――
 それは、それだけの、それだけでしかない、ただのちっぽけな衝動だったのだろう。
 だがこの時、そんな衝動を自覚することもないままに私はそれに身を任せ、するりとその場を抜け出し――少女たちは視線で追う程度で、誰も声は掛けてこなかった――、『変な人』たちを探し始めた、のだった。


 程なくしてスーツを着た数人の男の人たちの姿を視界に捉えた。
 元々が、さして広いわけでもない敷地を貸してもらっているので――彼らがその中にいる以上、探すのは難しくなかった。
 今は、木の上で猿のように身を潜めている。
 音を立てないように注意しながら木から滑り降り、するすると推定『変な人』たちの元に近付いていく。
 足音を殺すためには、色々な要素を考えて歩く必要があった。足に込める力の強さはもとより、その先の地面の固さを予測する……ために、生えている草花の種類を確かめ。
 まぁ、付け焼き刃に等しい知識では大した音は殺せない。忍び足というのも恥ずかしくなるくらいに、音は出てしまう。
 だが幸いなことには、周りは木々で囲まれていた。少しでも風が吹けば、木々がざわめいて音を消してくれる。
もっとも、それは同時に、
「…………聞こえない」
 と言う事でもあったが。
 現在、件の怪しい人たち(男。二人組だった)から茂みを一つ隔てた空間に身を潜めている。
 茂み一つ、と言ってもそんなに木々は密集していない。その為、彼我の距離は大分空いてしまっている。
 だが、声は聞こえずとも、その場から推し量れることはあった。
 彼らはあからさまに、人目を気にしてこのようなところまで来ている(ようだ)。
 そして、人には言えないようなことを一人が通信機で伝えている(らしい)。
 もう一人は監視役らしく、周囲に注意を払って……あ、目が合った。

 すぐに取り繕えば、問題はなかったのかも知れない。
 散歩にでも来た、と言う風情で軽く会釈でもして。
 そいで、失礼しました……と言わんばかりに愛想笑いで立ち去れば。
 もちろん。
 そう言っているからには、そんな対応は取れなかったわけで。

 痛々しい沈黙が落ちる。
 木々の音がやけに大きく響いていた。
 お互いがひたすらに無表情で。
 どうする、どうすれば、どうしよう、まだ間に合うか、誤魔化せるか……?
 有象無象の疑問が脳裏に乱舞している。
 監視役が、もう片方を肘でつつく。……睨めっこが二対一になった。
 さらにしばらくして、二人の男は僅かに顎を引く程度に頷き合う。
 どうやら、人に見られてはいけないことを、ばっちりと、見てしまったらしかった。
 監視役の方が、私に向かって一歩を踏み出した。
 それが、きっかけとなって。
「……っ!」
 脱兎も生易しいと思えるような速度で駆け出す。
 私の足が、勝手に動いていた。
 いや、それも言い訳か。先ほどからどうするべきかを考えすぎてパニックに陥った思考回路が、彼らの動きに驚かされて咄嗟に単純な解答を弾き出したに過ぎない。
 ついでに言えば、驚かされたことを言い訳にしたかったのかも知れないが――それも含めて最早どうでも良い問題では、ある。
 そう。この時点で既に引き金は十分すぎるくらいに引かれていた。

 だから。

 練習しなければいけないことを理由に、この事を考えなかったとしても、
 彼女たちにこの事を話す気分にはとてもなれなかったとしても、
 両親に話すことなど考えもしなかったとしても。

 全部関係ない。

 無論……今となっては、だが。
 今でも思う。
 考えていれば、あるいは。

 あの時周りで笑っていた人たちが    なんて、なかったのではないかと。



 死ぬことなんて、



 なかったのではないかと。


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