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ルーチェ・ビーンズの災難

「ルーチェは、いるかしら?」
 アークエンジェルルーム“ウリエル”――一つの部屋にまとめるには、紋章機の操縦者は増えすぎていた――に、女性の声が響いた。
 若い女性である。二十歳になったばかりと見て、間違いないだろう。
 ……身に纏った雰囲気は、それよりももっと幼げなのだが。
 それに加えて、体つき――というか胸や腰――は、もっと幼げであった。
 顔立ちは、まぁ美人と言っても異論を唱える人はいなさそうな……そんな顔。
 逆に言えば、あくまでもそれだけの顔と言うことだが。
 腰まで伸びた夜の色の髪が、彼女の印象を強固なものにするかも知れない。
 彼女は、名を『龍之宮 餡』と言った。紋章機〈ミラーミラージュ〉のパイロットだ。

 そんな彼女の声に、部屋で何やら話し合っていた二人が、顔を向けた。
「さぁ……? あ、そうだ。格納庫じゃないですか?」
 そう言ったのは、プラリネ・アルマード。
「……不確かな情報ですので、剰り信用しないで下さいね」
 そう続けたのは、葛霧・葵である。

 ちなみに。クロノクリスタルと言う連絡用の赤い宝石は、みんな持っているはずなのだが……件のルーチェ・ビーンズに限っては、上官以外の通信は全て拒否しているのだった。
 なんというか、対人嫌悪症のルーチェらしい話である。
 そんな彼女は、餡の嫌いなタイプにストライク、なのだが――。
 それ故に、ちょっかいを出してしまう。それが餡なのであった。

「不確か……って、何よ。信用できないの?」
 そんな解説はぶっちぎり、彼女たちの会話は続く。
「信用も何も、『じゃないですか?』って言ったのはプラリネさんでしょう?」
「……で、何で格納庫だと思うのかしら?」
 言い合いを始めた二人を――彼女らの場合、じゃれあいの様なものだが――餡が質問で静める。
「え? それは……歩いていくのを、見たからですけど……」
 若干ばつの悪そうな声音で、プラリネは言う。
「なら信憑性はあるわね」
 頷き、餡が言った。そして呟く。
「やっと手掛かりが……ああ、虱潰しも大変」
 その声に思わず葵は、「虱潰しって……。ご、ご苦労様です」
 労いの言葉を掛けていた。
「ありがとね、葵ちゃん」
 無邪気な笑顔で、餡が礼を言う。
「ちゃ、ちゃんはよして下さいよ!」
 赤面しつつ――葵は、言った。

 餡が去り、また二人に戻る。閉まった扉を暫し見つめ――プラリネが、言った。
「やっぱり……モニタがいるわよね」
「え?」
「せめて全部のエンジェルルームと連絡が付くようにするべきだわ」
「それは、そうですね。……色々と困りますし」
「色々って言うか……はっきりと困るわよ?
 上は金欠だ何だと理由を付けて動かないし」
「困ったことですよねぇ……」
 こんな感じで、今日も二人は仲が良かったのだった。

 一方で餡は、格納庫に来ていた。
 単なる目撃情報……と言いつつも、機械類の好きなルーチェのことである。
 ここにいるのは間違いないだろうとは思っていたが……大当たりだったようだ。
 ちょうど、今は他の整備員は出払っていて、無人である。
 が、ルーチェの紋章機〈クロノスフュージョン〉に誰かが入った形跡があった。
 ルーチェは、他人が自分の大事なものに触れるとひどく怒るのだが……紋章機も『大事なもの』に類するらしく、整備員も自発的には手を触れない。
 それは十分に餡も承知しているので、ちょうど触れるか触れないか、と言うところまで器用に近付いて反応を待った。

 一分が経った。反応はない。もちろん、無視しているのである。
 〈クロノスフュージョン〉には、そこらのロストテクノロジーさえ遙かに凌ぐ性能を誇る人工知能〈ミカエル〉が搭載されているのだ。
 その気になれば、この〈白き月〉内部の全ての人間の行動を感知できるはずだ。
 とにかく、そのミカエルがあちらにはいるのだ。
 だから気付いていないはずはなかった。
 少なくともこちらは触れていないので、無視を決め込んでいるらしい。

 そして三十分が経過した――と、辺りに唐突に声が響いた。
「……あんた、暇だよね」
 可愛らしい少女の声だ。……が、口調は果てしなく無愛想である。
 さらに言えば、そもそもの口数が少ないので目立たないが――一人称は『俺』だったはずだ。
 ルーチェの声だった。
 ふと顔を上げると、年の頃15、6の少女が立っていた。
 黒ずくめの衣装に、白い肌と銀の瞳が良く映えている。
 こちらは文句無く、美少女と言える容姿であった。
 流石に我慢の限界が来たらしい。若干眉が顰められている所を見ると、呆れているようでもあった。
 そこから考えるに、意地を張っているのが面倒になったのかも知れない。
 恐らく全部だろうが――
「貴女もね」
 年下の少女に『あんた』呼ばわりされても、少しも動じることもなく。
 餡が返した。
「……?」
 ルーチェが、困惑混じりの疑問符を投げる。餡は構わずに続けた。
 その声が笑みを帯びているように感じるのは、気のせいではあるまい。
「だって……私が来たとき、もう整備は終わってたんでしょう?」
「…………」
 今度ははっきりと眉をしかめた。
 これでも、いつもの彼女を知る者にとっては表情豊かに映るだろう。
 恐らく……三十分も狭い空間に閉ざされて、彼女なりに疲労していたのかも知れない。
 無表情を、情動を隠すために使うのはそれなりに疲れるものであるから。
 ともかく……その顔のまま、口を開いた。
「……何で判った?」
 その問いかけに、餡は笑みを浮かべ、言った。
「やっぱりそうだったのね」
 その言葉で、ルーチェは誘導尋問――尋問かどうかに多少の疑問は残ったが――に引っかかったことに気付く。
「……お前……」
 その声に、はっきりと怒りがこもった。二人称も『お前』に変化している。
 普段の無表情も手伝って、彼女の怒った顔はかなり怖いのだが……。
 別段、怖じ気づいた風もなく。餡は、さらに続ける。
「……冗談よ、冗談。ホントはね、整備をしているわりには緊張感が感じられないな、と思ったからよ。
 ……大方、ミカエルちゃんと話でもしてたんでしょ?」
「…………」
 図星である。その点でも、言いしれぬ怒りが涌いてきた、が……。
 そもそもがからかわれていただけだと知り……ルーチェは、思わず頭に手を添えた。
 既に怒る気力も萎えていた。
 軽く頭を振り……幾度か深呼吸して、ようやく落ち着きを取り戻す。
 そして、言う。
 もう、二人称は平常時のそれに戻っていた。
「……あんた、ねぇ……」
 心底呆れた、と言った顔付きだ。表情豊かなところを見た限りでは、いつもの調子は未だ戻っていないようである。
「そんなに俺をからかうのが楽しいの?」
「ええ」
 即答である。ルーチェは何だか無性に泣きたい衝動に駆られたが――それで全てが解決するなら、迷わず泣いていただろう――、矜持がそれを許さなかった。
「ともかく……言いたいことはそれだけ?」
「いいえ」
 これまた即答である。
 ルーチェは頭の重量が増すのを感じた。実に生々しく。
「言いたいことがそっちにあっても、俺は聞きたくないから」
 冷たく言い放つ。
 それに衝撃でも受けたのか、餡は、天を仰ぎ……暫し、手を顔の上で動かし……そして身をくねらせ、泣き崩れた。
 そのままの体勢で、言ってくる。
「そ、そんな……これが、反抗期という奴なの? 母さん悲しいわ」
 それは――
 普段はボケの人間でも、突っ込みを入れずにいられない。そんな情景だった。
 いつの間にか手に握られている小瓶には、何やら『目薬』などと書かれていた。涙の正体だろう。
 あまつさえ声は笑っていたりする。
 その上に母さんなどという意味不明の言動も、相まっている。
 ルーチェでなければむしろ何処を突っ込むべきか迷っていたかも知れない。
 しかし。
 ルーチェは違った。
「……………………」
 完全無視である。
「……」
 流石に餡は硬直した。
 それを後目に、軽く鼻で笑い、ルーチェは部屋を後にする――
 ――否。
 後に、しようとした。


「ルーチェ・ビーンズ」

 先ほどとは違う――凄みさえ感じさせる声が、彼女の名を呼んだ。
 ルーチェは、思わず立ち止まってしまった。
 そのまま振り返る。
 目に映るのは、涙のあとなど微塵もない、餡の笑顔。
 だが……その変わらぬ笑顔の中にも、何処か凄みが感じられるようで。
 ルーチェはそのまま立ち去ることが、何故だか出来なかった。
「貴女は……もっと、他の人達と……他のエンジェル隊の娘達と話すべきだわ。
 貴女は、天才にありがちな『何でも一人で出来る』という考えが誤りだと知っている。
 それは解る。もちろん、貴女の紋章機が強力すぎて連携が成り立たないことも。
 でも、所詮は人は一人では生きていけない。
 一人で、しっかりと生きているように見える貴女も……結局は、ミカエルちゃんとの会話を基に自己を確立している。
 ましてや、ここは軍隊よ。いかに貴女が人を嫌おうとも、接触は避けられない」
「そんなこと……!」
 思わず激昂しそうになるルーチェ。しかし餡は無視して続けた。
 その笑みを、子を見守る母のそれに変えて。
「ええ、そんなことくらい貴女が思いつかないとも思っていないわ。
 貴女のことだもの、私の薄っぺらい言葉の何倍も深く、深くまで考えているわよね?」
 ルーチェは、溜息を吐いた。
 まったく、この女。
 こちらの言おうとすることを、全て、まるで知っているかのように言ってくる。
 べらべらと、つらつらと、滞りのない濁流の如くに。
 それ故に、言えることが無くなってしまう。
 そして、何も言い返せないのは、案外堪える。
 思わず、汚い言葉が出てしまうほどには……。
「フン……発育不良女め」
 ……どちらかと言えば自分にダメージが来た(数瞬遅れて、気の効いた皮肉が出て来た)。
 そもそも、餡にこんな悪口が効くはずが無いと言うのに。
 現に、
「大丈夫よ。心配には及ばないわ、一応栄養には気を付けてるから……」
 無邪気に笑い掛けてくる。
 それは、心配されたときに出る感謝の微笑みだ……。
 この通り。
 どういう訳か、餡は他人と争う感情にひどく疎いのである。
 深々と溜息を吐き――今日はこのまま寝てしまいたかった――、今度こそ格納庫から出ていくルーチェ。
 そんな背中に、またも声がかかる。
「そうそう、忘れてたわ」
 今回は、完全に反応がない。餡は予想していたのか、満足そうに頷いて続ける。
「司令官殿が、お呼びよ? そんなに大事じゃないそうだけど、行ってあげたら……?」
 それが本題か。

 格納庫を出るときに聞こえた、たった数秒の声。
 まぁクロノクリスタルを使わずに、餡に言伝を頼むほどなのだから、彼女の見立て通り大した用でもないのだろう。
 しかし……だからこそ。
 そんな用件を聞かされる為だけに今だ体に残る倦怠感を味わわされた。
 絶望的な思いで、そんなことを考え。
 ルーチェは――実に、珍しいことに――深い溜息を吐くのだった。

 一方その頃。格納庫で一人、餡が呟いた。
「……聞こえたかしらね」
「聞こえてたわよ」
 誰もいないはずの格納庫に、ルーチェとちょうど対角にいるような、底抜けに明るい声が唐突に響いた。
 しかし、その唐突さに驚いた様子もなく……餡は、言い返した。
「ミカエルちゃん、聞こえてたの?」
「って言うか、今のってあたしに言ったんじゃないのぉ?」
「そうだけど?」
 何というか、微妙な沈黙が二人――というか一人と一つ――を包む。
 やがて、人工知能〈ミカエル〉が言った。
「あはは……今のって、ルーチェとだと絶対にない会話よね」
「そうねぇ……あの娘、無駄なことは話さないものね」
「って事は、無駄だって知ってたのね」
「当然じゃないの」
「全くー。……負けるわ、餡ちゃんのそんなところには」
「何言ってるのよ、ミカエルちゃんがもう一段階知能を上げれば、途端に私なんて足元にも及ばなくなるっていうのに」
「そう言うところも含めて、よ。
 その、何でも見透かしているような態度。ルーチェじゃなくても、気の短い人間ならいらいらしちゃうわよ?」
「そうかしらねぇ……私にしてみれば自然な振る舞いなんだけど……」
「それが長所、っていう奴よ。……短所ともいうでしょうけど」
「……どっちなのかしらね」
「さぁ、どうなのかな? まぁ、結局は……」
「……私の心掛け次第。……でしょ?」
「…………。だから、私が敵わないっていうのはそう言うところなのよ」
「あら、そうなの」
 ……格納庫に、二つの笑い声が響いた。


 まぁ、そんな感じで。

 おおむね今日も、〈白き月〉は平和だった。