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            第3章    ―――― 幸福の残照 ――――








ミルフィーユが熱を出して倒れた。

キッチンで突然倒れ、そのまま意識不明の重態、とはミントの証言。

高熱でうなされ、今日いっぱいが山だ、とはフォルテの証言。

タクトは泡を食って、取るものも取らず医務室へと走って行った。

最初に気付くべきだったのだ。

仲間が倒れたというのに、そう言う2人が、なぜ悠々とお茶などすすっているのかと。

「嘘はいけませんわ、フォルテさん」

「あんたもね」

優雅に紅茶を口に運びながら微笑むミントに、フォルテはコンバットマガジンから目を離

すことなく平然と答えていた。

「ミルフィーっ!」

けたたましい音を立てながら転がり込んできたタクトが見たものは――――。

「はい?」

ベッド上に身を起こした、今日いっぱいが山の高熱患者の、いかにも平和そうな顔だっ

た。

「............」

ベッド脇の椅子に座っていたヴァニラが、いったい何事かと訝しんだ目でこちらを見てい

る。

「....................................あ

れ?」

状況を理解するのに、しばしの間が必要だった。

そして理解した途端、この上ない脱力感に襲われた。

ガックリとし、壁にもたれて辛うじて体を支えるタクトに、知ってか知らずか。

「罪を犯すは人の業、許す事こそ神の業......です」

ヴァニラがなにやら格言めいた事を言った。

ひょっとして、慰めてくれているのだろうか。だとしたら思いっきり遠まわしな慰めであ

る。

優しさを理解してもらえず、損をしている事も多いのではないか心配である。

まあ、それはともかく。

「やあミルフィー、思ったより元気そうで安心したよ」

とりあえず笑顔でその場を取り繕う。

ミルフィーユも微笑んで、それに答える。

「すみません、ご心配をおかけしちゃったみたいで。ちょっと気分が悪くなっちゃって。

でもタクトさん、なんだかずいぶん

慌ててたみたいですけど、何かあったんですか?」

「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」

「でも、まるで怪獣にでも襲われたみたいに」

「いいから忘れてくれ。忘却の彼方に押しやってくれ。ミルフィー、きっと夢でも見たん

だよ。俗に言う夢オチだな」

「それ、私のセリフ......」

わけがわからない顔をするミルフィーユ。

タクトは強引に話題を変えるべく、ヴァニラに話を振った。

「それでミルフィーの容態はどうなんだい? ヴァニラ」

「......熱が少しあるようです。でも1日安静にしてもらえれば問題ないと思いま

す」

彼女自身はいつも通りの無表情だったが、肩の上でナノマシンのリスが楽しげに尻尾を

振っていた。

うわ、ぜったい気付かれてるな、こりゃ......。

心の中で嘆息したその時、タクトは彼女がメモ帳を左手に、右手にペンを握り締めている

事に気がついた。

「ヴァニラ、それ、何のメモ?」

「あ......」

指摘すると、なぜだか彼女は少しだけ狼狽の色を見せ、素早くそれらを隠してしまった。

ついでにリスも背中に隠れてしまった。

「ヴァニラ?」

「............」

そして黙秘権行使に入られてしまった。

困惑するタクトに、代わりのようにミルフィーユが答える。

「レシピです」

「ミ、ミルフィーユさん......」

珍しくうろたえた様に声を上げるヴァニラに、ミルフィーユはいいから、と微笑んで見せ

る。

「レシピ? って、料理の材料?」

「そうですよ」

「ふーん......って、ひょっとしてヴァニラ、料理するの!?」

驚いてヴァニラに振り返るタクト。

その視線から逃れようとするかのごとく、小柄な体をさらに縮こまらせるヴァニラ。

ミルフィーユが少しだけ咎めるように言った。

「タクトさん、『ひょっとして』なんて言い方はひどいです。ヴァニラがお料理しちゃい

けないんですか?」

「あ、いや、そんなつもりは無かったんだ。ごめんヴァニラ」

確かに今のリアクションはまずかった。

100パーセント自分が悪いと悟ったタクトは慌てて言い繕い、素直に詫びる。

ヴァニラは小さく首を横に振って、平気です、との意思表示をした。

「今日はヴァニラが、私の夕食を作ってくれるんですよ」

気を取り直したミルフィーユが、心底嬉しそうに言う。

またしても驚愕の事態だったが、さすがに今度は自重して、タクトは穏やかに肯いた。

「へえ、そりゃうらやましいな」

「でしょう? 私のために、特別に作ってくれるんですよ。もう感激です」

「うーん、ますますうらやましい。いいなあ、いっそオレも熱出して倒れようかな」

「あ、そんなことしてもダメですよー。これは私とヴァニラの友情の賜物なんですから」

和やかに話すミルフィーユとタクト、そして恐縮しているのかすっかり黙り込んでしまう

ヴァニラ。

医務室はそんな、優しい空気に包まれていた。

さっそく買出しに行くというヴァニラに、タクトはヒマだからと付いて行くことにした。

普段からタクトは、エンジェル隊の中で一番コミュニケーションを図りづらいのは彼女だ

と感じていた。

むろん苦手とかそういうのではなく、単純に交わす言葉の絶対量が少ないという、物理的

な意味でだ。

そのことを不満に思っていた彼にしてみれば、願ってもないチャンスだった。

よく考えたら彼女と2人で出かけるのは初めてである、記念すべきかな今日この日。

......行き先がスーパーというのが、少々無粋ではあるが。

久々に出た街路区には、クラシックな室内楽の旋律が流れていた。

日々激しさを増す戦い。その中にあっての、ひとときの安らぎ。

相手がヴァニラなので会話が弾むということは無かったが、沈黙の隙間を緩やかな音楽が

静かに埋めていく。

――――悪くないな。

タクトはそう感じた。

毎日の喧騒を離れ。物静かな少女と共に。街路を歩く。流れる旋律に歩調を合わせて。

うん、悪くない。こういうのも、悪くない。

「前にどこかで聞いたんだけどさ」

心地よい安らぎを感じながら、タクトは隣を歩く少女に話しかけた。

「ナノマシンを操る修行って、技術うんぬんのトレーニングってより、神職者のそれに近

いんだって?」

ヴァニラは少し考えた後、こっくりと肯く。

「はい。星によっては、完全に同一のものとして認識されています。私の故郷でも、概

ね」

「じゃあさ、ヴァニラも賛美歌に詳しかったりする?」

彼女は顔を上げて、不思議そうにこちらを見た。

「......それなりには」

でも、どうして?

目で問いかけてくる彼女に、タクトは尋ねた。

「アメージング・グレイスって、分かるかな」

「............」

驚いたらしい。

少しだけ目を見開いて、見つめてくる。

「ミルフィーがさ、歌ってたんだ。いい歌だと思ったから、教えてもらった。けど歌詞の

意味が分からなくってさ、もしか

してヴァニラなら知ってるかなー、と思って」

「............」

沈黙。

少し長い沈黙があった。

どうしたんだろう、と思ってタクトが彼女を振り返ったその時。

「......大いなる恵み いと優しき調べよ......」

ささやくような声で、ヴァニラは詞を紡いだ。

「......傷持てる我を救いたもう」

最初、意味が分からなかったタクトだったが、すぐにそれが賛美歌の歌詞なのだというこ

とに気が付いた。

「迷える時 道は示され......」

気のせいだろうか? 詞を紡ぐ彼女は、どこか嬉しそうだ。

「......盲(めし)いた目は いま開かれん......」

ミルフィーユが歌っていた、あの旋律。

それはあの、歓喜の曲調にふさわしい、敬虔な詞だった。

ヴァニラは軽く目を閉じて、余韻に浸るかのように大きく息をつく。

そして再び目を開くと、タクトを見上げてどこか満足げに言った。

「......こんな意味です」

「そっか」

本当なら感想のひとつでも言うべきなんだろうけど。

敢えてタクトは、ただ肯いた。

なんだか、何を言っても陳腐な物言いにしかならないような気がしたから。

「ありがとう」

「......いえ......」

ヴァニラもそれで特に気分を害した風でもなく、いつものごとく素っ気無くうなずくだけ

だった。

ただ、一言。

「......ミルフィーさんがこの歌を知っていてくれて......嬉しいで

す......」

なにやら意味深なことを言って。

タクトは深く追及しなかった。

スーパーで、ランファを見かけた。

彼女は果物売り場で、メロンとにらめっこをしていた。

値札を確認し、財布を開け、嘆息し ――――。

敗残兵のように打ちひしがれた様子で、隣のリンゴを手に取りトボトボとレジへ歩いて

行った。

すごく分かりやすい動作だった。タクト達には最後まで気がつかなかった様だ。

「......『ただの風邪なんだから、大袈裟にする事無い』って、言ってました」

「ランファらしいね」

なんだか微笑ましかった。

そして、現在。

ヴァニラはキッチンに入り、タクトは後ろで椅子に座って、彼女の奮戦ぶりを見守ってい

た。

「ねえ、本当にオレ、手伝わなくていいのかい?」

「......お断りします......」

さっきから何回、同じやりとりを繰り返しただろう?

割烹着に三角巾と、まるで給食当番の小学――――もとい、勇ましいいでたちの彼女だ

が、その手つきは傍目にも危なっかしい。

作っているものは、ただのお粥なのだが。

マンガによくある初心者ドライバーが、こんな感じだよな......。

真剣そのものの横顔を見守りながら、そんなことを思う。

「手出し無用です。お控えなすっててください、です......」

「言葉遣いが変になってるよ」

ツッコんでやるが、果たしてどこまで聞こえているのやら。

しかし――――。

ヴァニラのこの姿は、タクトを少なからず驚かせるものだった。

彼女は普段から、冷静と言うか諦観したところがある。

自分に出来る事と出来ない事をあっさり割り切り、自分の不利を承知しながらなお挑もう

とする事など、まず有り得なかった。

もっと言えば、自分を全体の中のパーツぐらいにしか見ていない節があった。

それがどうだ。

料理がズブの素人であることなど、一目瞭然だというのに。

意地。執念。根性。

いちばん縁遠いはずのそれら泥くさい形容が、今は彼女の全身を覆っている。

いったい何が、彼女をそこまで駆り立てるのだろう?

「ねえヴァニラ、聞いてもいいかな」

「............」

返事が無い。

高価な宝石の研磨作業でもしているかのように、イモの皮をむいている。

息の詰まるような緊張が、こちらにまでひしひしと伝わってくる。こんなに手に汗握るイ

モの皮むきは初めてだ。

仕方がないので、その精密作業が終了するまで待って、タクトは再び尋ねた。

「大丈夫かい? ヴァニラ。......ちょっと聞きたいんだけど」

「ふぅ、ふぅ......なんですか......」

「なんで突然、ミルフィーにご飯つくってあげようなんて考えたの?」

「............」

ヴァニラが振り返る。

失礼な物言いにならないように言葉を選びながら、タクトは続ける。

「だって、食事なら大食堂のコックさんがちゃんと居るわけだしさ。正直オレは、ヴァニ

ラだったら前に宇宙風邪が流行った時

みたいに、ナノマシンの薬の精製とかそっちの方に考えが向くと思ってたんだ」

「............」

「だから話を聞いたとき、驚いちゃったんだ。さっきは本当に悪かった。で

も......なんでかな? と思ってさ」

「............」

ヴァニラはうつむいた。

一瞬、気を悪くしたのではないかと危ぶむが、そうではないらしい。

言葉を探すように沈思し、そして作業を再開しながら言った。

「......やはり、おかしいですよね。作ってあげる相手に、材料を訊くところから

始めなければならないような人間が......」

「いや、そんな」

「いいんです......自分でも分かっていますから」

ヴァニラは淡々と、でもやっぱりたどたどしい手つきで菜を刻む。

「ご覧の通り、これは私の初めての料理です......。これを、ミルフィーさん

に......食べてもらいたかったんです」

「......どうして、ミルフィーに?」

「............」

一呼吸分の間を置いてから、ヴァニラは答える。

「......尊敬する人だから......」

「え」

思わず言葉に詰まる。

尊敬。彼女がミルフィーユのことを、そんな風に思っていたとは。

いやそれ以前に、彼女が他人に対して自分の評価を述べる事自体が、非常に珍しい事だっ

た。

「尊敬?」

「はい。......ずいぶん前の話ですが......」

そしてヴァニラが語った、とある日のミルフィーユ。

「いつも1人で皆さんのおやつを用意して、大変ではないのですか?」

その日。

彼女はいつものようにミルフィーユと2人でキッチンに立ち、おやつの準備をしていた。

と言っても、実際にお菓子を作るのはミルフィーユ1人。彼女はもっぱら、出来上がった

ケーキを切り分けたり、お茶のための湯を

沸かしたりする雑用係である。そういった役割分担もまた、いつものことだった。

ケーキが焼き上がるのを待って、レンジの中を覗き込んでいるミルフィーユに、彼女はそ

う尋ねた。

以前から疑問だったのだ。

ミルフィーユはゆっくりと彼女に振り返り、答えた。

「そりゃもう、てんてこ舞いだよ。あはははー」

ちっとも大変そうじゃなかった。

むしろ自分はそのお祭騒ぎを楽しんでいる、と言わんばかりの返事。

彼女は続けて尋ねた。

「いくら料理が得意だとは言え、いつもいつも作る必要は無いのではないですか?」

「......ん〜?......」

ミルフィーユは笑みを崩すことなく、なぜかいたずらっぽい目で、腰をかがめて彼女の顔

を覗き込んできた。 

思わずたじろぐ。

「......私の顔に、何か......」

「ヴァニラ、私のお菓子は嫌い?」

「............」

ぜんぜん脈絡の無い質問だった。

しかも今までそんなこと、思いもよらなかった質問。

あんなに美味しいお菓子が、嫌いなはずは無い。

彼女は驚いて――――そして、急いで否定しようとした。

「いいえ」

だが、とっさに出てきたのは、自分でも嫌になるくらいに素っ気無い、その一言だけだっ

た。

自分の口下手を恨めしく思った。否定の一言だけでは、足りないと思った。もっと言葉を

重ねるべきなのに。

いや、せめて、同じ一言でもはっきりと『好きだ』と答えることはできなかったのか。

言い募って取り繕う器用さも持ち合わせず、自己嫌悪で彼女は沈黙してしまう。

しかしミルフィーユは、そんな彼女の顔を見て、嬉しそうにニッコリとした。まるで彼女

の考えていることが分かっているかのよ

うに口を開く。

「それで充分。ヴァニラにそんな顔をしてもらえることが、私の誇りだよ」

そんな顔?

自分はいったい、今どんな顔をしているのだろう?

「誇り......?」

「そう、誇り。こう訊いて、そんな風に意外そうな顔をしてもらえるのが。それって、私

のお菓子は嫌いじゃない、って意味

だよね?」

こくこくこく。

自分の乏しい感情表現を、ちゃんと理解してもらえていたことに3度驚きながらも。

彼女は今度こそ誤解は招きたくないと、大慌てで何度もうなずいた。

ミルフィーユの優しい微笑みは、嬉しそうな満面の笑みへと変わる。

「ヴァニラ。私ね、思うの」

「......?」

「人間はおなかすいてる時に何かを考えても、ろくな考えは浮かばないものだよ。どんな

ときでも、まずはおなかをいっぱいにし

てからじゃないと、いいアイデアなんて思いつくものも思いつかない」

「......??」

ミルフィーユの言わんとしていることが読めなかった。

それでもとにかく、黙って耳を傾ける。

「そういう意味では、食べるというのは生きる力を生み出す、とても大事なことだって思

うんだ」

ミルフィーユはそんな彼女と目線を合わせ、幼い子供に諭すように、優しい目で続けた。

「料理は自分の身も助けるし、誰かを喜ばせて生きる力を与えることもでき

る。......こんな素晴らしい技術、他にはそうそう

無いと思わない? だから私は、自分のこの技術に誇りを持ってる」

「............」

「おいしいって、言ってもらえる。私が信じるこの技術を、他の人にも認めてもらえる。

こんなに嬉しい事はないよ。だから、

毎日だって作ってるの」

ヴァニラはその時、こう思っていたと言う。

――――ああ、この人は。

「なんて綺麗に笑うんだろう......と」

「ミルフィーが、そんなことを」

我知らず。

タクトはそのミルフィーユの言葉に、深い感銘を受けていた。

確かにその通りだと思った。

人間は、どんな困難に遭遇しようと、ものが食べられるうちは何とかなる。

飢え。渇き。

それらに勝る困難など、そうそうあるものではない。

タクトは自分に置き換えて考えていた。

21年間も生きていれば、何かで悩んだこともある。

しかし飢えたことは無い。

今にして思えば、どうだろう? 

悩んで、お腹すいたら何か食べ、満腹になったらまた悩む。

なんて贅沢なことをしていたのだろう。

飢えて、渇いて、なお悩めるほど、あれは気合の入った悩みであったろうか?

ミルフィーユの主張は、正にその根源を突いていた。

安っぽいペシミズムなど、彼女の前では子供の泣き言も同然に思えてくる。

「......私の癒しは、いつも不完全です......」

ヴァニラは言った。

「傷口は塞げます。破損しても、再生できます。でも......それだけです」

その声にあるのは、自己に対する無力感。かすかな苛立ち。そして――――焦がれるよう

な羨望。

「あの人には、それがある......。私から見れば、あの人の料理こそ魔法です。あ

の人こそ......本物の魔法使いです」

ナノマシンの奇跡を、自在に操るヴァニラ。

どこかの星では、聖女とまで呼ばれて崇拝される力を持つ彼女。

その彼女をして、こう言わしめるとは。

「あの人の魔法を、いつか私も使えるようになりたいと思っていました......だか

ら、今日は......」

ああ、そうか......

タクトはようやく納得した。

そういえば、ミルフィーユがお菓子や料理を運ぶ時、決まってヴァニラが手伝いをしてい

た。

元気のいい声で「皆さんお待たせしましたー」と運んでくるミルフィーユの後ろを、いつ

も彼女が、遅れまいとするかのように

続いていた。

あれは単に、作業員として協調性を発揮していたのではない。

彼女は文字通り、本当に、ずっとそうやってミルフィーユの背中を追いかけ続けていたの

だ。

「そうか......じゃあ、がんばらないとね。ミルフィーに『おいしい』って言って

もらえるように」

タクトは笑って、不器用な聖女の奮闘にエールを送る。

――――ほんの軽い、励ましのつもりだった。

が、それを聞いたヴァニラの肩がピクリと震える。

「......そうです......絶対に......失敗は......。私の持て

る、すべてをかけてでも......」

また何かブツブツと、得体の知れないことを呟き始めた。

なんとなく、彼女の周りだけドンヨリと闇のオーラが立ち込めているような気がする。こ

れがマンガだったら、さしずめ陰気な

人魂が2,3個浮いているところだろう。

余計なプレッシャーを与えてしまった様だ。

「あああ、ごめんヴァニラ、今のナシ! リラックスして行こうよ!」

「......神よ......私はどうなっても構いません......」

「おかゆ作りで死に急ぐんじゃない! ほら深呼吸、手のひらに人という字を書いてだ

ね――――!」

タクトは慌てて、フォローに四苦八苦する羽目になるのだった。

結局、出来たメニューは数種の薬草を盛り込んだ薬味粥と、具だくさんお味噌汁。

大山鳴動して鼠一匹、と言うなかれ。人一人が命までかけて作った夕食である。

「とってもおいしいよー」

一口食べたミルフィーユの、満面の笑顔。

もともとが飛び上がるほど美味いことも無ければ、吹き出すほどまずい事も無い、地味な

メニューである。

しかしやはり緊張していたのだろう、ヴァニラは心底ホッとしたらしく、その場で密かに

神へ感謝の祈りを捧げていた。

そしてミルフィーユが完食した食器を、いつもの無表情ながら、それはもういそいそと取

り下げて行った。

ヴァニラが出て行き、部屋に残ったタクトは、ミルフィーユと顔を見合わせて笑い合う。

「どうだった? ヴァニラ特製の夕食は」

「ええ、本当においしかったです。これなら、たまには病気になるのも悪くないなー、な

んて思っちゃいました」

「ヴァニラ、すごく一生懸命だったよ」

「私が一口目を食べようとした時の、あの緊張を見れば分かります。お料理っていくら

作っても、食べてもらうときは緊張

しちゃうものなんですよねー」

経験者は語る、である。

それが分かるミルフィーユなら、きっと消し炭になったお粥が来たとしても、変わらない

笑顔で食べたんだろうな......。

ほぼ確信に近い思いで、そう考える。

「本当においしかった......なんだか本当に、おなかいっぱいです。誰かにご飯

作ってもらうなんて、久しぶり......」

「............」

なるほど、ね。

その満ち足りた表情を眺めながら、タクトは納得していた。

料理は自分の身も助けるし、誰かを喜ばせて生きる活力を与えることもできる――――。

君の言うとおりだよ、ミルフィー。全面的に、君が正しい。

君のその笑顔で、オレもたぶん、いま笑っているから。

こうしてどんどん、笑顔が広がっていけばいいのに。

知ってるかい?

君は、尊敬されているんだよ。

ヴァニラに。そして――――オレに。

オレも、君を尊敬している。ヴァニラが料理を作ったように、オレも君に何かをしてあげ

たいと思う。

ミルフィー。オレは君に、何をしてあげられる?

「今日は......なんだか、すごくいい日だったな」

「ん? どうしたんですか、タクトさん」

「なんだか今日は、すごく優しい日だった」

自分でも何を言ってるんだ、と思いつつ言う。

もっと分からないはずなのに、ミルフィーユはニッコリと笑った。

「タクトさん、いま、すごく優しい顔してます」

「ん......そっか」

照れくささよりも、満ち足りていた。

「ヴァニラの手伝いに行って来るよ。後片付けなら手伝えるだろうし」

「はい、本当においしかったって、伝えてください」

そして願った。この幸せが、少しでも長く続くようにと。

考えもしなかった。

――――この日が、皆が心から笑うことのできた最後の日であったなどと。