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  第5章       ――――― 破滅に向かって ―――――

整備班とエンジェル隊との溝は、日増しに深くなっていった。

「ムカつくぜ......本当にムカつくぜ! 何なんだあいつらは! いつもいつも、

ヘラヘラヘラヘラ笑いやがって!」

若い整備員が壁を蹴る。

面と向かって直接、という事態こそ未だ辛うじて避けられていたものの、もはや彼等の鬱

憤は我慢の限界に達していた。

「特にあいつだ、1号機のパイロット。何だあのフザけた戦い方は!? やたら運のいい

奴で、運だけでエンジェル隊に入った

って聞いちゃいたが......本当にデタラメだぜ。戦争ナメやがって」

「そうそう、俺なんて戦闘見てて、いっそのこと敵の弾があいつに当たんねーかなーって

マジで思う時あるもんな」

「親方にあれほど言われてんのにヘラヘラしてやがるしよ、神経通ってないんじゃねえの

か? でなきゃマゾだぜ、あいつ」

「頭おかしいんだよ。白雉だぜ、白雉」

整備班の中で特に槍玉に上がるのは、ミルフィーユだった。

理由は簡単である。彼女は未だに整備班と繋がりを持とうと、彼らに笑顔で話し掛けてい

た。彼等からすれば1番目立つ――――

1番目障りな存在が、彼女だからである。

そして、蔭で誹謗中傷の限りを尽くされているミルフィーユ本人はと言うと――――。

「皆さんお待たせしましたー! 今日のおやつはクレープバイキングですよー、食べ過ぎ

注意です」

まったく相変わらずに元気だった。

呆れるくらいにいつも通りの笑顔で、山と重ねたクレープの生地を運んで来る。

切り分けたフルーツのボウルを持って、いつも通りにヴァニラが後に続いている。

色々な事が変わってしまった中で、唯一変わらない光景がそこにあった。

いつからか、エンジェル隊のメンバー全員が思っていた。

『せめて、ミルフィーユだけでも』と。

そんなある日のこと。

タクトがそれを見つけたのは、ほんの偶然だった。

先の戦闘で損傷が激しかったとされる左舷対空機関砲群へ視察に出かけた、その帰り道。

近道をしようと、普段ならまず通らないような狭い通路に入った時だった。

壁に塗料スプレーで書き殴られた落書きを見つけたのだ。

タクトは前に立ち、首を傾げた。

「花頭......?」

相当崩れた字なのでよく分からないが、どうも『花頭』としか読めない。

しかしどういう意味だろう?

腕を組んで一人言を呟いたその時だった。

「バカ、って読むらしいよ。そう書いて」

不意に、聞き慣れた声に話しかけられた。顔を上げると、そこにいたのはフォルテだっ

た。

やあフォルテ――――条件反射的に笑顔で挨拶しようとして、固まる。

フォルテは右手にブラシと洗剤、左手に雑巾のかかったバケツを持って立っていた。

あまりにミスマッチな装備に、絶句して見つめてしまう。

だが彼女は気にした風も無く、薄い笑みを貼り付けたまま、続けた。

「意味合いとしちゃあ、頭に花が咲いてるみたいにオメデタイ奴、ってとこだろうね」

頭に花が咲いている。花頭。オメデタイ奴。

タクトはすぐにピンときた。それが誰のことなのか。誰に対する中傷なのか。

もう一度落書きを睨みつける。

「はい、ちょっとごめんよー」

フォルテはそんな彼の正面に割り込んで壁の前にかがみ込むと、落書きに洗剤をかけてブ

ラシでこすり始めた。

「............」

「............」

沈黙が流れる。

薄暗い廊下に、フォルテが壁をこする音だけが響く。

タクトはしばし、黙々と働く彼女の背中を見つめていたが――――やがて口を開いた。

「誰がやった?」

「分からないかい?」

背中を向けたまま、フォルテは質問を質問で返した。

「......いや、見当はつく」

「そういうことさ」

「............」

タクトは再び黙り込んだ。

奥歯がギリ、と鈍い音を立てた。

そして、ふいと踵を返し、荒々しい靴音をたてて歩き出そうとした。

「司令官どの、まさかとは思うけど」

その背中を、冗長な声が呼び止める。

「槍を持て、銅鑼を鳴らせ、者どもいざ討ち入りだ、ってわけじゃないだろうね?」

「............」

「いやいや、私達の聡明な司令官どのが、まさか後先も考えず殴り込みの鉄砲玉なんて、

チンピラやくざみたいな真似をする

とは、夢にも思ってないけどね」

「............」

「ほら、深呼吸。......もう一度訊くよ? まさか、仕返しなんてバカなこと考え

てないだろうね?」

タクトは、両の拳を震わせていたが――――やがて言われたとおりに大きく深呼吸。

振り返った時、その顔にはいつもの人を食ったような笑みが浮かんでいた。

「まさか。俺は平和主義者だよ? ケンカなんてガラじゃない」

「ふふ、そうだったね。ひ弱な根性無しだもんね、あんたは」

「ひどいなぁ、事実だけど。掃除道具はどこにあるんだい?」

「手伝ってもらえるとは光栄だねぇ。そこの角を曲がった先の、トイレにあるよ」

「分かった」

トイレから汚い雑巾とブラシを取ってくる。

そしてフォルテの横に並んでかがみ込むと、2人で壁をこすり始めた。

「............」

「............」

2人とも、一言もしゃべらなかった。

何か話そうとも思わないし、相手にそれを期待もしない。

ただ機械的に手を動かしていた。

「............」

「............」

落書きはなかなか取れなかった。

更に力を込めてブラシを動かす。

フォルテがいったん手を止め、帽子を脱いで額の汗をぬぐう。

汚れの泡沫が飛び、彼女の軍服に染みをつくる。

もともと使っている掃除用具は、便所掃除のためのものだ。

「フォルテ、服が汚れてるよ」

「あんたもね、司令官どの。それが?」

まったく意にも介さず、懸命にブラシを動かし続けている。

まるで、この落書きを消すためならどんな犠牲もいとわない、という風に。

その様子を眺めつつ、タクトも気を入れ直して作業を再開する。

再び廊下にブラシの音だけが響きわたる。

「......私達はね、もう限界だよ」

しばらくして、フォルテがポツリと呟いた。

「特に私やランファなんて、こんな性格だろ? もう自分の怒りを抑えこむので精一杯。

戦ってる時も、何であんな奴らを守る

ために戦わなきゃいけないんだ、って思ってる。......皮肉なもんだね。その怒り

で、紋章機が動くんだから」

それはタクトも気付いていた。

戦闘中、常に彼女達をモニターで見守り指示を出しているんだから、気付かないわけが無

い。

「今さらあいつらと仲良くしろって言われても、絶対にできない」

断言。

それはこれ以上ないほど明確な、拒絶の意思だった。

先の困難を思い、顔をしかめるタクト。

そんな彼の気持ちを見透かしたように、フォルテは振り向いて続けた。

「でも、あんたはまだ悲観しなくていいよ。まだ最後の可能性が残ってる。......

ミルフィーが、残ってる」

「フォルテ......」

「ミルフィーだけは、まだ連中との繋がりを諦めていない。私はね、決めてるのさ。自分

がダメでも、ミルフィーが諦めないの

なら、その邪魔だけはしないと。あの子の努力を、自分がブチ壊すような真似だけはする

まいってね」

ようやく『花』の字が消えた。

フォルテは雑巾で壁をぬぐう。

そうしながら、自嘲めいた笑みを浮かべた。

「年上としちゃあ、少々情けないとは思うけどね。これが私の、ギリギリの譲歩だ。その

代わり、ミルフィーには出来る限りの

協力を惜しまないつもりだよ。こんな下らない落書きを消すことぐらい、お安い御用さ」

「......そうか」

よし、と小さく気合をいれてから、フォルテは再びブラシを取り、『頭』の字を消しにか

かる。

タクトは黙ったままだったが、頭の中では考えていた。

自分も似たようなものだ。しかし、本当に今のままで良いのだろうか。

大切な人が理不尽な目にあっているというのに、見て見ぬ振りをするのが正しい事だとは

どうしても思えない。それなら何のた

めの仲間だ。それならこのやり場の無い怒りはどうすればいいんだ。

しかしフォルテが言うように、ミルフィーユ自身がまだ諦めていないのだ。こんな時、周

りの人間はどうしたら......?

突然の、警報。

ブリッジからの第1種戦闘配備の発令と、レスターからの呼び出し。そしてエンジェル隊

への出撃命令。

何の答えも見つけ出せないまま、2人はそれぞれの持ち場へと駆け出して行った。

格納庫は火がついたように慌しくなっていた。忙しく人が行き交い、紋章機の発進準備を

整えている。

その間を縫い、ハッピートリガー目指して走っていたフォルテは、視界の端にある人影を

認めて、足を止めた。

ミルフィーユだった。

壁際に一人ポツンと立ち、格納庫の喧騒を遠巻きに眺めている。

「何やってんだ......?」

出撃命令が出ているというのに。不審に思い、方向転換して彼女のもとへと向かう。

なぜだか分からないが、ひどく寂しげなその姿。何となく、人込みの中で立ち尽くす幼い

迷子を連想させる姿だった。

名前を呼ぶ。聞こえていない。

もっと近づき、もう一度名前を呼ぶ。

「ミルフィー!」

彼女はハッと、夢から覚めたような顔をした。

「あ......フォルテさん」

「あ......フォルテさん、じゃないだろ。何してんだい、ボーッとして」

すぐ正面まで来て言うと、彼女はうつむいた。

「さっき、親方さんが......」

「ん? 何だって?」

ちょうど誰かが近くで怒鳴り声を上げたため、聞こえなかった。

訊き返すが、ミルフィーユはふるふると首を振ると、取り繕うような笑顔を浮かべた。

「いえ! 何でもないんです。ごめんなさいボンヤリしてて、さあパパッと行ってやっつ

けちゃいましょう!」

いつも通りの笑顔――――のつもりなのだろう、本人は。

しかしフォルテには、泣き笑いの顔にしか見えなかった。

「おい、ミルフィー」

「あー!? いつの間にかランファもう出ちゃってるじゃないですか。急がないとまた怒

られちゃう。フォルテさんも早く

行きましょう!」

あからさまな会話の打ち切り方。

それでもフォルテが追及するより早く、ミルフィーユは駆け出してしまっていた。

「いったい何だってんだ――――!」

フォルテは舌打ちして、自分の愛機へと身を翻した。

発艦した当初から、ラッキースターは様子がおかしかった。

どこが、と訊かれればその答えは明白だ。

「......消極的だな」

モニターで戦況を見つめながら、レスターが苦虫を噛み潰した様な渋面で言った。

横の艦長席に座るタクトも、同じ表情でうなずく。

「ああ、消極的だ。とても」

今日のラッキースターは、明らかに精彩を欠いていた。

普段なら、こちらが手綱を引いてやらねばならないほどグイグイ前へ出て敵の機先を制し

ていく、あの勢いが全く影をひそめている。

まるで初陣の新兵のように前線を恐れ、射程ギリギリの遠距離から散発的な射撃を繰り返

すだけだ。さきほどミントのトリックマス

ターよりも後方へ退がった時は、さすがにタクトも堪りかねて叱咤を飛ばしたくらいだ。

「ミールフィー! あんた何やってんのよぉ、私一人でこの陣形を切り崩せっての!? 

ちょっとは手伝いなさいよ!」

最前線において、今やたった一人の斬り込み隊長となっているランファが悲鳴を上げてい

る。

「ミルフィーさん、どうなさいましたの? ラッキースターがこんな長距離からでは、効

果的な攻撃は望めませんわ」

「......どこか、不具合がおありでしょうか? 修理が必要でしたら、すぐ

に......」

明らかに様子がおかしいミルフィーユに、ミントとヴァニラが心配げに声をかける。

今までの戦闘で、ミルフィーユは何だかんだ言っても一番大きな戦果を上げてきた、チー

ムの撃墜王である。エースの消極的な戦い

振りは、エンジェル隊全体に少なからず影響を及ぼしていた。

「............」

そしてフォルテは、無言で歯軋りしていた。

出撃前のあの時、ミルフィーユを強引にでも引き止めて問いたださなかった事を後悔して

いた。いくら急いでいたとは言え、あれほ

ど明白に様子のおかしかったミルフィーユを放って、そのまま出撃させてしまうとは。エ

ンジェル隊の隊長としても、年上の人間と

しても、失格だと思った。

しかし今さら言っても後の祭りである。もうすでに、戦闘は始まっているのだから。

「ミルフィー! 何をビビッてんのか知らないけど、ビクビクしてたら逆にやられちまう

よ! 勢いに乗ってビュンビュン飛び回っ

てた方が、敵も照準が定まらないってもんだ!」

声を張り上げて激励するが、ミルフィーユの返事は煮え切らなかった。

「は、はい、でも......」

「あーもう、何だってんだい!」

その時、再びランファの叫び声が割り込んで来た。

「ゴ、ゴメンみんな、抜かれちゃった! そっちに行ったわ、気をつけて!」

「なにぃ!?」

焦って目を正面に戻すと、敵の主力である2隻の大型戦艦が、怒涛の勢いで前進を始めて

いた。

ランファもよく応戦したものの、やはり1人で前線を維持するのは不可能だったのだ。

「くっ......!」

「このやろ......!」

トリックマスターとハッピートリガーが迎撃に入るが、2隻の戦艦はその耐久力にものを

言わせて、お構いなしに突っ込んでくる。

瞬く間に両機も抜かれる。

そして、2機を抜いたところで、その主砲が動いた。

奇妙にゆったりとした動き。まるで、死神が大鎌を振り上げるような動き。

やがて2隻の戦艦の主砲は、ピタリと同じところに照準を定める。

「え――――?」

ミルフィーユは呆けた声で呟いた。

合計12門の大砲が狙う先――――それは紛れもなく、このラッキースターであった。

戦艦2隻のAIは、ラッキースターを一番くみし易しと判断したのだ。

「そ、そんな......!」

次の瞬間、怒涛の集中砲火が襲いかかった。

逃げ惑うラッキースターに追いすがり、主砲、副砲、追尾ミサイル、対空機関砲、ありと

あらゆる攻撃が浴びせ掛けられる。

慌てて追撃し、後ろから攻撃するハッピートリガー、トリックマスター、ハーベスタ―に

は目もくれない。本当に、ラッキー

スターのみを狙った集中砲火だった。

悲鳴を上げながら、メチャクチャに操縦桿を動かすミルフィーユ。

かわし切れなかった砲撃を、自動展開した紋章機のシールドが弾く。しかし衝撃までは防

ぎきれず、機体は大きくバランスを

崩して木の葉のように宙を舞う。そこをミサイルが直撃。またシールドが、辛うじてそれ

を弾く。

「やだ、やだぁ! 撃たないで! ラッキースターを傷つけないで!」

ミルフィーユは泣き叫んでいた。

「ミルフィーさん、反撃してください! 逃げるだけでは格好の的にしかなりません

わ!」

ミントが何度も呼びかけるが、聞こえていない。

「ミルフィー落ち着け! 私たちだって居るんだ、挟み撃ちにするよ! ......っ

て聞いてんのかい!」

「ラッキースターのエネルギー残量、すでに50パーセントを割り込んでま

す......シールドの使いすぎです......」

タクトは思わず椅子から立ち上がっていた。

「ミルフィー、急いでポイント461へ転進だ! ミントも同座標、そこでミルフィーと

スイッチしてくれ! フォルテとヴァ

ニラは攻撃続行、戦艦の足を少しでも鈍らせてくれ!」

「わ、分かりましたわ! ミルフィーさん、私が後ろを守りますから補給

へ......!」

「了解! ミルフィー、急げ! 461だ!」

「ハーベスタ―了解......足止めに全力を尽くします......」

3人はそれぞれタクトの作戦に応じるべく行動を開始する。

が、どうしたことか。肝心のラッキースターに動きが無かった。指示されたポイントへ向

かう素振りも無く、相変わらず集中砲

火に逃げ惑うばかりだ。

「ミルフィー!? どうした、461に行くんだ!」

通信を開かせ、ミルフィーユに怒鳴って――――タクトは愕然とした。

「ヒック......グスッ......やめて......撃たないで......」

開かれた画像の先。

あろうことか、ミルフィーユは。

目をつぶり。耳を塞ぎ。

シートの上で、胎児のように丸くなってうずくまっていた。

「傷つけないで......お願い......これ以上、もう......」

泣きながら、何事か呟き続けていた。

パイロットの操縦放棄に、紋章機のシステムが自己保存のために、マニュアルからオート

パイロットへと自動変換していた。

その姿は当然、他のメンバー達の目にも映し出される。

「このバカ......!」

全員が一瞬呆然とする中で、いち早く行動を起こしたのは、ランファだった。

いままで1人で戦っていた前線を放棄して、機体を反転させる。

「こちらカンフーファイター! 悪いけど、ミルフィーのとこに行くわ! 前線とかあと

色々、よろしく!」

「なっ、ランファ、一体」

「私に任せて! 以上、通信終わり!」

一方的に通信を切ってしまう。

タクトは仕方なく、ミントとヴァニラにランファとのスイッチを命じ、もう一度ミル

フィーユに呼びかける。

「ミルフィー! どうしたんだ。聞こえているんだろう、返事をしてくれ!」

ミルフィーユは泣きじゃくりながら、うっすらと目を開けた。

「タクトさん......ヒック......ごめんなさい......わた

し......ごめん、なさい......」

しゃくりあげながら、謝罪の言葉を繰り返す。

「何があったんだ? 言ってくれ、泣いてるだけじゃ何もわからないよ!」

「こんど、紋章、機、壊しちゃったら......ヒック、また......親方さん、

に......ご迷惑......」

「なに? なんだって?」

途切れ途切れの言葉。

タクトは訊き返すが、そこで戦艦の主砲がラッキースターに命中する。

「きゃあああああぁぁぁ!」

「ミルフィー!」

画像が一瞬途切れる。

すぐに元に戻ったが、ミルフィーユは半狂乱になっていた。

「もう嫌......もう嫌ぁ! 助けて! 誰か助けて! もう嫌、もう嫌なの!」

自分で自分を強く抱きしめ、激しく首を振って髪を振り乱し、一層小さく縮こまる。

タクトは目を疑った。

これが、あのミルフィーユなのだろうか?

いつも天真爛漫で、どんな困難が来ても笑顔を絶やさず、何も考えていないようでいて思

慮深く、それでいて間が抜けていて。

ミントから敬愛を、ヴァニラから尊敬を、ランファから親愛を、フォルテから信頼を受け

ている、あのミルフィーユなのだろうか?

「言われなくても助けて――――やるわよっ!」

言葉を失って立ち尽くすタクトに代わり、声を上げたのはランファだった。

紋章機の中で最速を誇るカンフーファイターは、最前線から瞬く間にミルフィーユの元へ

たどり着いていた。

到着するなり、2隻の戦艦のうち1隻に強烈な一撃を見舞って離れる。

「ほらぁ! 助けに来たわよミルフィー、もう安心だからね!」

泣きじゃくるミルフィーユに向かって、ランファは必死の形相で呼びかける。

「ミルフィー、大丈夫? 私が分かる? 私が誰だか分かる!?」

それは、聞く者をギョッとさせる、奇妙な呼びかけだった。

タクトも、フォルテも、そして通信をつないだすべての者が、言葉をなくして2人の会話

を見守る。

「......ランファ」

小さな声で答えるミルフィーユ。

「そう、私はランファ! ランファさんが助けに来てやったのよ、もう安心だから泣くん

じゃないの! いい!?」

「......うん......」

コクリと従順にうなずき、泣き止む。まるで年の離れた姉と、幼い妹のような会話だっ

た。

何を、言っているんだ......?

2人の会話の意味が分からなかった。

分からなかったが、タクトは一瞬、悪寒に背筋が凍ったような気がした。

ランファは続いて、フォルテを指して言う。

「ならミルフィー、こっちのお姉さんは?」

「............」

ミルフィーユは指されるまま、フォルテに振り返る。

無感動な瞳。

思わずたじろぎ、身を引くフォルテ。

「............」

まさか......

見守る者すべてが、嫌な予感に身を震わせる。そして。

「?」

ミルフィーユは、ちょこんと小首を傾げた。

愕然とするフォルテ。タクトも同様だった。

「ミ、ミルフィー! 何をふざけて......!」

身を乗り出して声を荒げるフォルテだったが、そんな彼女に怯えたように、ミルフィーユ

は身をすくませる。

ランファが遮るように言った。

「あー、分かった分かった! ミルフィー、こっちのお姉さんは私の友達! 悪い人じゃ

ないから安心して!」

「......お友達?」

「そう、ランファさんのお友達! 危なくない所に連れて行ってくれるから、あの人につ

いて行くのよ、いい?」

「ランファは......?」

「私はこの悪い奴らをやっつけてから行くわ。ちゃんと言う事聞いて、いい子にしてるの

よ、分かったわね!?」

ミルフィーユはしばし、ランファとフォルテの顔を見比べて。

「ん」

コクリとうなずいた。

それを確認してから、ランファはフォルテに向き直る。

「フォルテさん、見ての通りです。すみませんが、ラッキースターを後送してください」

「見ての通りって、いったい何がどうなってんだい!? ミルフィーはどうしちまったの

さ!?」

「大丈夫、一時的なものです。時間が経てば元に戻ります。でも、でもたぶん、この戦闘

には、もう......」

獲物を逃がすまいとするかのような、戦艦の艦砲射撃。

「くっ......、とにかく説明は後で! ここに居るのはミルフィーじゃなくて、

ちっちゃな迷子の女の子だとでも思って下さい!」

「しょうがないね! 了解、迷子の子猫ちゃんは私が責任を持って送ってやるよ! 聞い

てたね、犬のおまわりさん? ラッキー

スターはもうダメだ、後送するから作戦を立て直してくれ!」

ハッピートリガーがラッキースターを伴い、威嚇射撃を繰り返しながら後退を始める。

訳が分からないまま、しかしタクトは状況を見直して、頭を高速回転させる。

「エルシオール全速前進、ラッキースターを回収に向かう! 事後は当初の前線へ転進、

前線突破に火力を集中する!」

無言で肯き、直ちに各部署へ号令を飛ばすレスター。

「ミント、無理は承知だ、白兵戦を挑んでくれ! 敵の進行を食い止めるんだ! ヴァニ

ラも指示があるまで修理よりも攻撃優先、

敵の数を減らす事に尽力してくれ!」

本来、後衛にいるべき2機の、いきなりの前線投入。

「お気遣い無く、白兵戦でしたら......もうすでに実行中ですわ!」

「......了解。ハーベスタ―、攻撃に移ります」

しかし2人は文句一つ言わず、ミントに至っては、逆に笑みさえ浮かべて指示に従ってく

れる。

タクトは残った2人に振り返る。

「フォルテもミルフィーを送ったら直ちに前線へ転進、一気に攻勢をかける!」

「なっ? ランファの加勢じゃないのかい? ランファ1人で戦艦2隻と戦らせようって

のか!?」

「ランファ......!」

フォルテの指摘はもっともだった。百も承知だ。

タクトは祈るような思いで、モニターに映るランファを見上げる。

「――――そんな顔するんじゃないわよ。あんたは私達の司令官なんだから、ビッと命令

すりゃあいいの!」

そんなタクトにランファは。

不敵な、そして優しい微笑みを浮かべていた。

「了解! カンフーファイター ―――― いっそのこと戦艦2隻、まとめて轟沈させてや

ろうじゃないのっ!」

「すまない、でも無茶は」

「謝るなっ! いま言ったばかりでしょ!」

「......ああ、頼んだぞ! 俺たちも前線が片付き次第、すぐに増援に向かうから!」

......こうして、無謀とも言える戦闘が始まった。

エルシオールの補給も、ハーベスタ―の修理も無く。

ランファはたった一人で、大型戦艦2隻の弾幕の中へ飛び込んで行った