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         第7章      ―――― 暴君、かく怒れり ――――


          『 もうウンザリ。あんたのバカさ加減には愛想が尽きたわ。もう1秒だって

            あんたと組んでいたくない。どっか行ってくんない? お願いだからさ ランファ 』

          『 いつもいつも、サルみたいにキーキー騒ぐのはやめて頂けませんか? 私

            の半径5メートル以内に立ち入らないで下さい、馬鹿がうつりますから ミント 』

          『 下手の横好きって言うけど、マズい料理を毎日食わされるこっちの身にも

            なれってんだ。無理して食ってやってんの、いい加減気付けよ フォルテ 』

          『              最低             ヴァニラ 』

「......なんだこれは」

司令官室。

机上に広げられた、4枚の手紙。

それらに目を通した後、タクトは机を挟んで向かいに座るフォルテに、押し殺した声で尋

ねた。

「見りゃ分かるだろ、嫌がらせさ」

つっけんどんに答えるフォルテ。

腕を組み、帽子をいつも以上に目深にかぶっている。

その奥に隠した眼光は、猛禽よりも鋭利に、ギラギラした殺気を放っている。

かつてない程の怒りが、その全身から陽炎のように立ち昇っていた。

ミルフィーユは元に戻らなかった。

診断したヴァニラの強い勧めもあり、しばらく入院させることが決定。彼女の着替えや日

用品を取りに、フォルテが部屋に

立ち入った。

そこで、この4通の手紙を見つけたのだという。

「単刀直入に言う。許可をもらいに来た。あいつら、殺していいかい」

小気味良くさえ感じられる、さばさばした口調でフォルテは言った。

ひとかけらの迷いも無い、純粋な殺意がそこにあった。

「ダメだ、と言ってもやりそうに見えるけど」

「ああ。もう殺す」

タクトは机上に肘をつき、手を組んで口元を隠した。

「殺したら、誰が紋章機を整備するんだ」

「知らないね。とにかく殺す」

「落ち着いてくれ。君らしくもない」

「これが私さ」

「それにだ。今回の一連の事に関しては、ミルフィーにも改善を要する点がある」

チャッ

眉間にリボルバーがつきつけられる。

一瞬の早業で、フォルテは立ち上がってタクトに銃を向けていた。

「......いま、何つった? もういっぺん言ってみなよ」

脅しではない、落ち着いた口調。

本気で相手を殺そうとする人間には、その相手を脅す必要が無いのだ。

「落ち着け。怒りは、俺も同じだ」

タクトは眼前の銃にも瞬き一つせず、静かに言った。

「喋ってんのは私だよ。今のセリフ、もういっぺん言ってみな」

「......俺もここ数日、考えた。ミルフィーとも話して、色々考えた。そして確信

した。今回の一連の事に関しては、ミルフィー

にも改善を要する点がある」

「あんたどっちの味方なんだいっ!!」

「もちろんミルフィーの味方さ。それで、ある事を実行しようか迷っていたんだ

が......いま、決心がついた」

「ある事?」

「聞くかい?」

フォルテはしばらく険しい表情でタクトを見下ろしていたが――――。

やがて、銃の照準を外してどっかりと椅子に戻った。

「聞くだけ聞こうじゃないか」

そして、タクトの話を聞き。

「......本気なのかい?」

フォルテは半信半疑の面持ちでタクトに訊いた。

「ああ。ミルフィーにとっては、相当な荒療治になるはずだ。元に戻ってくれなくて

も......何かを感じ取ってくれるはずだ」

「そりゃそうだろうが......出来るのかい? あんたに」

タクトは苦笑する。

「ひどいなぁ、確かにそれが一番の問題だけど。......でも、やるさ」

「ほぉ? 言い切ったね」

「やると言ったらやる。言ったろう? 怒りは、俺も同じだと」

「......もしそれでダメだったら、今度こそ私はあいつら殺すよ」

「許可しよう。少なくとも、今すぐ殺すよりは建設的な方法のはずだ」

フォルテは一瞬キョトンと目をしばたたせ、皮肉たっぷりの笑みを浮かべだ。

「言うようになったじゃないか」

右手の小指を、じっと見つめる。

「............」

迷いを振り切るように、ギュッと拳を固める。

そしてタクトは、整備班の親方に電話をかけた。

「話がある。ちょっとその辺の人気の無い倉庫にでも――――――ツラ貸せ」

ガランとした、薄暗い倉庫内の真ん中で。

犬の顔をした2人の男が、至近距離で睨みあっていた。

「............」

「............」

互いの息がかかるほどの距離で、互いに無言で相手を睨み倒し、威圧する。

「ナメた呼び出しかけやがって......何のつもりだよ、艦長さんよ」

先に口を開いたのは親方の方だった。

「脳みそまで筋肉じゃないだろ。分からないか?」

タクトは悠然として言い返す。

「......誰に上等カマしてんのか、分かってんのか? 小僧」

武骨な顔を歪ませ、親方がドスのきいた声を出す。

「下衆の中年オヤジ、あんたにだよ」

皮肉混じりに、しかし二コリともせずに答えるタクト。

「............」

「............」

無言の睨み合い。

そして。

「いいぜ。温室育ちのお坊ちゃんが――――来いや!」

親方が吼えるのと同時に、タクトは右の拳を繰り出した。

「ミルフィー」

フォルテはミルフィーユの見舞いに訪れていた。

病室のミルフィーユは、ベッドの上に上体を起こし、ミントに髪を梳いてもらっていた。

「お、綺麗にしてもらってるねぇ。こりゃあ別嬪さんだ」

笑いながら、手近の丸椅子に腰掛ける。

ミントが櫛を動かす手を止めて、尋ねた。

「フォルテさん、ミルフィーさんの着替えはどうしたんですの?」

「あ......忘れた」

「もう、そのために出て行ったんじゃなかったんですの?」

「悪い悪い。後でまた取りに行くから。......それで、どうだい? ミント」

どう、とはミルフィーユの心はまだ壊れたラジオのままなのか、という意味だ。

ミントは再び髪を梳く作業に戻りながら、簡潔に答えた。

「ダメですわ」

「そうか......」

フォルテは落胆の色を隠して肯き、帽子を取って放る。帽子は見事、棚の上に着地を果た

した。

そのとき、扉が開いてヴァニラが入ってきた。

室内にフォルテがいるのを認めると、彼女はキョロキョロと周囲を見回して。

「......フォルテさん、ミルフィーさんの着替えは......」

まったく同じ事をツッコまれ、フォルテは大袈裟に両腕を広げて見せる。

「わ・す・れ・た・よ。あーあー、私が悪かったよ」

「ふてくされないで下さいな、みっともないですわよ」

ミントが穏やかにツッコミを入れる。

「ちぇっ......そういやヴァニラ、ランファはどうしてる? 様子見に行ったんだ

ろ?」

「......お元気そうでした。たったいま2回目の精密検査に入られたところです

が、おそらく問題ないかと」

「そうかい。これで一安心だ」

「ミルフィーさんによろしくと、おっしゃっていました」

ランファは3日前に意識を取り戻した。

が、ミルフィーユの見舞いには1度しか訪れていない。彼女自身、まだ重傷であることに

変わり無いし、何よりミルフィーユ

の方がしきりに申し訳無がって、話にならないからだ。

それっきり、なんとなく3人とも黙り込む。

あいかわらず人形のような様子のミルフィーユ。

その髪を、たっぷり時間をかけて、丁寧に丁寧に梳かすミント。

手持ち無沙汰なのか、ヴァニラは花瓶の水を点検してみたりなんかしている。

そしてフォルテは窓の外を見やり、ボンヤリと呟いた。

「いい天気だなぁ......ホログラフだけど」

「ですわね」

「......はい」

相づちを打つミントとヴァニラ。

「こんな日は部屋に篭ってないで、ピクニックにでも行きたいよなぁ。お弁当持ってさ」

ピクリ、とかすかにミルフィーユが反応を示した。

のろのろと、フォルテを見やる。

「なんて顔だい、ミルフィー。まるでヴァニラが2人いるみたいだ」

我ながら笑えないジョークだ、とフォルテは思った。

ネタに挙げられたヴァニラは困った顔をしている。

「心配するなって。私はあんたの料理、大好きだよ。あんな手紙、あんただって真に受け

てたわけじゃないだろう?」

「手紙......って、何ですの?」

ミントが尋ねるが、フォルテは首を横に振る。

「後で話すよ。......そうだ、ミルフィー」

そして、さも今思いついたかのように言った。

「ピクニックは無理だろうけど、ちょっくら散歩するくらいならいいだろ。綺麗におめか

しした所でさ、な?」

プロの試合でもおいそれと見られないような、見事なクロスカウンターが決まる。

親方はよろめいて、コンクリートの床に膝をつく。

体重の軽いタクトは吹き飛び、倒れる。が、すぐに跳ね起きる。

そして再び、互いに拳を固めて殴りかかる。

ホコリだらけの倉庫内で、血を吐き血を流しながら。

ただひたすらに噛み合う、2匹の狂犬。

泥々の、素手ゴロ。

ドッグ・ファイト。

「小僧がぁ......あんな小娘1匹にトチ狂いやがって!」

親方が吼える。

「何とでも言え......ミルフィーの敵は、無条件で俺の敵だ!」

血唾を吐き捨て、吼え返すタクト。

両者ともダメージは深刻だったが、優勢なのは親方の方だった。

プロの格闘家が素人のケンカ自慢に遅れをとる、というのはよく聞く話だが、そのケンカ

自慢は大半が肉体労働者である。

毎日毎日、重い鉄骨を担ぎ。

コンクリートを練り。

堅い岩盤をシャベルで掘り返す。

鍛え上げられた鋼の肉体は、時としてプロの格闘家さえ遥かに凌ぐ。

肉体労働者の筋力というのは、それほどまでにハンパではないのである。

むしろ、今まで立っているタクトの方を誉めるべきなのかも知れない。

殴り、殴り返される。蹴られ、蹴り返す。

技術もへったくれも無い、暴力のぶつかり合い。

そんな馬鹿2人の戦う様を、2階の通路から見下ろす2つの人影があった。

「ほほぉ......これはなかなかどうして、けっこうなマジゲンカじゃないか。あの

ひ弱な司令官どのが、ここまでやるたぁ

予想外だったねぇ」

フォルテが悠然と呟く横で、ミルフィーユが息を飲んでいた。

相変わらず無表情のままだったが、目にだけは驚きの色をたたえ、大きく見開いている。

「......タクトさん......ケンカ......」

「ああ、ケンカしてるね。せっかくの機会だから、よく見ておきな。これほどの真剣勝負

(ガチ)は、滅多に見られるもんじゃないよ」

「............」

親方の拳が、モロにタクトの顎をとらえた。

首を縦に撥ね上げられ、大の字になって倒れるタクト。

すぐに起き上がるが、よろめいて膝をつく。完全に足にきていた。

そして驚くほどの血の塊を、床にぶちまけた。

「ひっ......!」

「顎が割れたね。大丈夫、出血は派手だが、命に関わるわけじゃない。......ケンカの勝負って点では、かなりヤバいけどね」

「っ、がああああああぁぁぁっっ!!」

タクトは膝をついた姿勢から、クラウチングスタートのように猛然と親方に突進した。

完全に獣と化した咆哮をあげて、親方の顔面に頭突きをぶつける。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!」

声にならない苦悶の悲鳴。

鼻の骨と前歯が折れ、2ヶ所から血を吹き出す。

「......スゲェ......」

フォルテの口から、感嘆の呟きが洩れていた。

百戦錬磨の彼女をしてこう言わしめる、壮絶な死闘だった。

そして彼女は、ふと気付く。

「............」

ミルフィーユが顔を青ざめさせ、歯をカタカタ鳴らしながらタクトを見つめていた。

そこにあるのは、恐怖。

今まで何があっても無反応だったミルフィーユに、明らかな変化が現れていた。

もしかしたら......。

フォルテはミルフィーユに話しかける。

「ミルフィー、なんでタクトがケンカしてるのか、分かるかい?」

小刻みに首を振るミルフィーユ。

「怒ってるからさ。整備班の連中があんまりあんたを虐めるもんだから、タクトは怒ったんだ」

ミルフィーユは追い詰められたような目で、フォルテを見上げた。

「......わたしのせい......?」

「うんにゃ、整備班の連中のせいだ」

「......わたしはへいきだって......いったのに......」

フォルテはうなずいた。

「ああ、平気だろうさ。ミルフィー、あんたなら」

そしてフォルテは。

「あんたは強い子だからね」

司令官室でタクトが言った言葉を。

「でもね。タクトはこう言ってたよ」

そのままミルフィーユに伝える。

「あんたは大事な事を忘れている」

頭を掴まれ、腕力で壁に叩きつけられるタクト。

「だいじなこと......?」

「ああ。あんたを大切に思う、周りの人達の気持ちを、さ」

全霊を込めた肘鉄が、親方の脇腹に突き刺さる。

体をくの字に曲げ、親方はタクトから手を放す。

「見なよ、タクトのあのザマを」

「............」

ホコリと血にまみれ、上になり下になり。

拳を振り下ろし、足に噛み付く。

顔を歪め、涙をこぼすミルフィーユ。

「......痛いだろ? ミルフィー。胸が、潰れそうだろう? タクトはあんたを思うあまり、あのザマだ。あんたは優しい子だ、

自分の傷には耐えられても、自分のせいで他人が傷つくのには耐えられない」

「タクトさん......タクトさん......」

「でもね、それはあんただけじゃない。タクトだってそうなんだよ。いまあんたが感じて

いるのと同じ痛みを、タクトは今まで

ずっと抱え続けてきたんだ。タクトだけじゃない。ランファも、ミントも、ヴァニラ

も......そして、私もね」

「..................」

いつの間にか、拳さえも割れていた。

だがタクトは割れた拳を振るい続ける。痛みなど、とうの昔に麻痺していた。

「――――――――――――タクトさんっ!」

ついに。

耐え切れなくなったのか、ミルフィーユが大声でタクトの名を呼んだ。

タクトはハッとしたように振り返る。

「......ミル、フィー......?」

隣りにフォルテもいることに気付き、慌てたように叫ぶ。

「フォルテ......どうして......!?」

「悪いね。せっかくだし、実際にやりあってるところを見せた方が、もっと良いんじゃな

いかと思ってさ」

悪びれた様子も無く、答えるフォルテ。

タクトの提案では、すべてが終わった後で、ミルフィーユを説得するはずだったのだ。

「タクトさん、どうして......どうしてそんなことするんですかぁ......」

泣きながら、ミルフィーユは訴える。

親方がタクトの顔面を殴りつける。タクトは殴られながらその腕に自分の腕をからめ、

ウンを免れる。

そうしておいて、反撃。割れてまともに握れていない右拳を、お構いなしに顔面へ叩き込

む。

「もうやめて下さい! 痛いんでしょう......? すごく痛いんでしょ

う......? 私なら本当に平気なんですっ!」

「......関係ない」

タクトは鼻血を乱暴に袖で拭い、言った。

「え......?」

「関係ないって言ったんだ。こいつは俺を怒らせた。だから殴る。それだけだ」

満身創痍の状態で、それでもなお一層輝く、獰猛な眼光。

燃え盛る闘争本能。

男なら誰もが持ちうる、暴力への渇望。

暴君――――。

「指切り......指切りしたじゃないですか! ケンカなんてしないって、約束した

じゃないですか! 約束破るタクトさんなんて......そんなタクトさんなんて、私、嫌いになっちゃいますよ!」

請うように、悲痛に叫ぶミルフィーユ。

だがタクトはそんな彼女の目の前で、なおも殴り合いを続ける。

そして、言うのだ。

「ああ......弁解はしない。遠慮なく嫌ってくれ」

「......っ!」

思い余ったか、ミルフィーユは身を翻して駆け出そうとした。

「おーっと」

その手をフォルテが掴んで止める。

「どこ行くんだい、ミルフィー」

「放してください! 止めて来るんです、あのままじゃタクトさん死んじゃいますっ!」

「ふ、お子様だねえ......。真剣勝負の最中に女に割って入られる事が、男にとっ

てどれほど屈辱的な事か。それが分からな

きゃ、いい女にはなれないよ」

そして腕力にものを言わせ、強引にミルフィーユを元の位置に引きずり戻し、ねじ伏せ

る。

「あんたの指定席は......ここだよっ! さあ、よーく見てるんだ。目をそらさず

に、あんたのためにボロボロになっている

男の姿を、最後まで見届けるんだ。それが、あんたの義務だっ!」

いつ果てるとも知れない殴り合いが続く。

それでも最後には、圧倒的な筋力の差が出始めた。

気力、根性、怒り。精神力だけではどうにもならない、確かな力の差というものが。

「いやぁ......いやぁ......。どうしてですかタクトさん......どう

して私を苦しめるんですかぁ......。本当に、本当に

嫌いになっちゃいますからぁ......」

組み伏せられ、身動きできないミルフィーユは、途切れ途切れのか細い言葉を連ねること

しかできなかった。

その彼女の目の前で、親方がとどめを刺しにかかった。

棒立ちのタクトに、ここへきて凄まじい連打を浴びせる。

完全にサンドバッグ状態だ。

「まずいっ......!」

フォルテが思わず身を乗り出す。

その叫びも空しく、親方が右の拳を大きく振りかぶる。

ドゴォッ

そして、全体重を込めたその一撃が、タクトの顔面に叩き込まれた。

首がちぎれたのではないかと思うような、物凄い音がした。

タクトの体はきれいに一回転して、親方にぶつかりそのままズルズルと床に崩れ落ちる。

「勝負あり、か......」

フォルテは呟き、帽子を目深にした。

が――――。

「ゼェ......ゼェ......てこずらせやがって......」

最後に一蹴りして親方は立ち去ろうとする。

その足を、タクトの右手が掴んだのである。

「なっ......!?」

親方はもちろん、フォルテも驚いた。

頭部をあれほどまともに刈り取られておきながら、その意識はまだ刈り取られてはなかっ

たというのか。

暴君の怒り、未だ潰えず――――。

「.....あやまれ......」

明らかに朦朧とした声。半分以上、意識は無いはずだ。それでもタクトの口は言葉を紡

ぐ。

「ミルフィーに......あやまれ......」

「あぁ!? なんでこの俺様が、あんな小娘に詫び入れるんだ! 放しやがれ、こ

の......!」

親方はムキになったように振り払おうとする。

しかしタクトの手は離れない。

「その小娘に......下らない嫌がらせ繰り返したのは、どこのどいつだ......」

ジヨリ、とタクトは身をよじる。

「差し入れはこれ見よがしに捨てる......これから戦闘に出て行くのに紋章機を傷

つけるな、なんて無茶な注文つける......

挙句の果てには、名前を騙ってあんな手紙を......っ!」

血まみれの顔を上げ、叫ぶ。

「あやまれ、この下衆野郎がぁっ!」

「......なに言ってやがんだ? 小僧......」

親方は、呆気にとられたように呟いた。

「とぼけるな! あんな最低な手紙を送りつけて......!」

猛って叫ぶタクトだったが、親方は一層、不可解げに眉をひそめるだけだ。

「だから、そりゃ一体何のことだ? 小僧」

「貴様、まだ! やっていいことと悪い事の区別もつかないのか!」

「待ちな」

フォルテの声が、割って入った。

2階の歩廊を、親方の間近まで歩いて来る。

「あ? おめぇも何だ。女がしゃしゃり出る幕じゃねえぜ。引っ込んでろ」

「そう言うなって。この喧嘩(ゴロ)の意味そのものに関わるんだ、大目に見なよ」

フォルテは柵から上体を乗り出し、親方に向けて尋ねた。

「親方さん、本当に知らないのかい? ミルフィーのところに、私達の名前を騙ってとん

でもない内容の手紙が送りつけられて

たんだ」

「何だそりゃ、小学生のイジメか? そんな幼稚な真似をするってのか、この俺様が。あ? ふざけろ」

本当に知らない様子だった。

黙り込むタクトとフォルテ。

2人の表情に、親方の顔が険しくなる。

「俺は言う事があるなら、本人に言う。陰でコソコソと、んな陰険な真似はしねぇ。そんな手紙は知らねぇ」

「じゃあ......あれは......」

親方は、ペッと血の混じった唾を吐き、大きな溜め息をついた。

「知るか......面倒ごとならゴメンだぜ。女に口挟まれたんじゃシラけちまった、もう俺は帰る」

「ち、ちょっと待ちなって!」

フォルテが慌てて、階段の奥に消える。

親方は構わずに、チラリとタクトを一瞬見やり。

それから両手をポケットに突っ込んで、大股で倉庫から出て行った。

戦いが終わり――――。

「タクトさん......っ!」

糸の切れた操り人形のように動かないタクトの元へ、ミルフィーユは駆け寄った。

タクトの顔が血まみれなのに息を飲み、慌ててハンカチで血を拭う。

「......ミルフィー......?」

問う声で、タクトは言った。

間近で見て、初めて気付く。タクトは両目に血が入り、塞がって前が見えていなかった。

「......ごめんな、ミルフィー......」

されるがままの状態で、やがてタクトはポツリと言った。

「君につり合うような男になりたかったけど......」

ミルフィーユからの返事は無い。

目が見えないタクトに、彼女の表情を伺う術は無い。

「やっぱり俺は、約束一つも守れないような......」

「............」

言いかけて、タクトは途中で口をつぐむ。

弁解でしかないと、自分でも気が付いたのだ。

「いや......とにかく俺は約束を破った。ケジメはつける、遠慮なく嫌ってくれ」

――――答えは、柔らかな抱擁だった。

「ずるいです......タクトさん......」

震える声。

ミルフィーユは、その胸にタクトの頭をしっかりとかき抱いていた。

「ミルフィー......? 服に血が......」

狼狽したタクトは、そんな間抜けなことを言ってしまう。

「嫌えるわけないじゃないですか......私のためにこんなに傷ついてくれた人を、

私が嫌えるわけないじゃないですか......」

その言葉どおり、抱きしめたままタクトの髪に、愛おしげに頬を寄せる。

タクトは心底からの安堵を感じていた。

「よかった」

そう呟き、そのまま気を失う。

「きゃっ......タクトさん? タクトさん?」

急に重くなったタクトに驚いて呼びかけるが、当然返事はない。

「タクトさん、しっかりして下さい、タクトさんってば!」

焦って辺りを見回すミルフィーユ。

そして、やっと気付く。

倉庫の出入り口に、フォルテが変な目でこちらを見つめながら突っ立っていた。

「フ、フォルテさんっ? いつからそこに!?」

「いや......さっきから居たんだけどさ......」

急に気恥ずかしくなり、ミルフィーユは真っ赤になる。

その恥ずかしさをごまかすように、ことさらな早口で言った。

「そ、それよりもフォルテさん、タクトさんが気絶しちゃったんです! どうした

ら......!」

フォルテの返事は冷淡だった。

「あんたが付きっ切りで、せいぜい手厚く看病してやるってのはどうだい。あたしゃ知ら

ないね」

「そんな、ああ、ちょっと待っ......!」

「はいはい、ごちそうさま。あんたも元に戻って、これにて一件落着。はー、めでたしめ

でたし」

「フォルテさん、待ってください! フォルテさんってばぁ!」

肩をすくめて出て行くフォルテ。

意識のないタクトにのしかかられ、動けないミルフィーユ。

タクトだけが、幸せそうな顔で安らかな寝息を立てていた。

手紙の犯人は整備班の新人の2人だった。

親方は2人を伴って、ミルフィーユに謝罪してきた。

が、あくまでこの件に関してのみの謝罪である。

ミルフィーユも謝罪は受け入れたものの、その後、整備班との交流を断念した。

互いに引け目は感じつつ、ついにエンジェル隊と整備班との繋がりは完全に途絶えた。

それでも。

完全無欠ではないにしろ、束の間の平和がエルシオールに訪れた。

――――以上が、『小さな事件』の顛末である。

また、エンジェル隊の大騒ぎな毎日が戻ってきた。

あれほどの事があったにも関わらず、タクトとミルフィーユの関係はその後もなかなか発

展を見なかった。

ミルフィーユはもちろん、タクトも妙なところで奥手だったせいである。

煮え切らない2人に周囲はやきもきしていたが、ミントとフォルテに限ってはむしろ面白

がっており、事あるごとに2人を冷や

かして遊んでいた。

ささやかな幸せが、そこにあった。

しかし、運命の日はすぐそこまで迫っていた。

悪魔の暴風は、もうエルシオールのすぐ傍まで迫って来ていた......。

 いつか終わる夢 ――――

 満たされた日々も 千歳の塵と消える

 万感の思い 伝えられぬままに

 いまぞ早や 惜別の刻

 それでもどうか 想いの君よ

 悲しみに心裂かるることなかれ

 願わくば  安らかに  穏やかに 

 是の最期を迎え入れんことを ――――

「♪ ふ〜ふ〜ん、ふふふ〜ん、ふんふ〜ん......」

運命の刻。

ミルフィーユはいつものように、キッチンに立ってお菓子作りに勤しんでいた。

優しい歌を口ずさみながら。

突如、天井のスピーカーから警報が鳴り響く。

それは緊急出動を知らせる合図。

告死天使の福音。

「たいへんたいへん......」

それでも彼女はいつもどおり。

ぜんぜん大変そうじゃないのんびりした呟きを洩らしながら、残りの作業を急いだ。

そう、本当に、いつも通りに――――。

ブリッジには絶望だけがあった。

あのレスターが、力無くシートに身を沈めて天を仰いでいる。

タクトは歯軋りして正面のモニターを睨み続けている。

艦長の視界一杯を埋め尽くすように映し出されるモニター画面。

その画面を埋め尽くした、『障害物』を示す警告灯。

その膨大な数量たるや、ブリッジの全員が最初は、モニターの色彩機能が故障したのかと

勘違いしたほどだ。

障害物の正体は、隕石群である。

ただし、普通の隕石群ではない。

『妖星乱舞』

銀河を渡る者なら、一度は耳にした事がある伝説的な死の宙域。

一つ一つは小さな、せいぜい直径15メートルほどの岩石なのだが。

それが惑星1個ほどもある膨大な範囲に、密集して流れている。

巻き込まれたなら、たとえロストテクノロジーの粋を結集した電脳戦艦でさえ、1時間と

持たないと言われている。

その妖星乱舞が、いま正に、エルシオールの前に姿を現していた。

あまりに接近し過ぎており、回避行動はもはや手遅れ。

クロノドライブしようにも、たった今それをやってシフトダウンしてきたばかりなのだ。

もう一度エネルギー充填が完了する頃には、とっくに暴風の真っ只中だ。

つまり――――。

エンジェル隊の他の面々も、ブリッジに集まっていた。

打つ手があるとすれば、エンジェル隊による迎撃のみだった。

タクトは断腸の思いで緊急出動を命じたのだが、彼女達は格納庫にではなく、ここに集

まってきていた。

誰も、それを責めようとはしなかった。

彼女達はどんな苦境に陥ろうと、決して諦めることは無かった。それはこれまでの、長い

戦いで立証済みだ。

これが別の苦境であったなら、紋章機に乗り込んだであろう。たとえ、5個艦隊に囲まれ

たのだとしても。

諦める。諦めない。

そんなレベルの話ではない、ということだった。

「......すまない......」

やがてうなだれたタクトが、ポツリと呟いた。

戦わずして発せられた、艦長の敗北宣言。

だがそれすらも、誰からも責められることはない。

「まあ、しょうがないわよ」

ランファが穏やかな声で答えた。

「あの時はクロノドライブしかありませんでしたわ。私が艦長でも、その決断を下したと

思いますもの」

ミントが引き継ぎ、タクトを労わる。

つい先ほどまで、エルシオールはエオニア艦隊と戦火を交えていたのだ。

2個艦隊に挟撃されて火だるまのエルシオールには、クロノドライブで戦線離脱するしか

手は無かった。

目的地も定めずドライブした結果が、これだった。あろうことか、妖星乱舞の至近座標に

出てしまったのだ。

「誰もあんたを責めてやしないさ。......いや、誰も、ってわけにはいかないだろ

うけど、少なくともここに居る人間は

誰もね。文句言う奴には言ってやればいいんだ。『じゃあお前だったら何とかできたの

か?』ってさ」

フォルテの好戦的な言葉は、相変わらずだった。

「......胸を張って下さい、タクトさん......」

ヴァニラまでもが、自分から進んで慰めの言葉をかける。

思えば、いつのときも苦境の只中だった。

そんな中で自らが悩み、苦渋の決断を下し、手を汚して戦った艦長だからこそ。

天使達は敗れた彼に微笑むのだった。たとえ一緒に闇へ落ちることになっても。

格納庫に着いたミルフィーユは、その光景を目にしても、軽く首を傾げただけだった。

いつも出撃前と言えば、整備士達の怒鳴り声が飛び交い、紋章機のブースターが獣のよう

に凶暴な唸り声を上げて、出撃

の瞬間を待っているものなのに。

静まり返った格納庫内。

メカニック達は床に座り込んでうなだれ、紋章機は沈黙して冷え冷えとした姿をさらして

いる。

「うーん、まあ、丁度いいか。今のうちに......」

のん気に一人ごち、死人のような顔をした男達の中から一人の姿を見つけ、近づいてい

く。

「親方さん」

彼女の目指した人物とは、いつか彼女自身を崩壊寸前まで追い詰めた張本人だった。

そんな相手に、ミルフィーユは後ろ手に隠し持っていた物を差し出す。

「これ、差し入れです。今度こそ、今度こそ正真正銘の自信作です」

「......どういうつもりだ......?」

綺麗に包装されたお菓子の箱を前に、親方は濁った目を彼女に向けた。

「バカか? 本当に白雉なんじゃないのかてめえは? 状況を聞いてないのか!?」

「聞いてます。それで私達に出動がかかりました。だからここに来たんです」

「なら何だこれは!? こんな時にまた懲りもせず、おいしいお菓子作りか! 俺はお前

みたいに現実ナメてるガキが

一番ムカつくんだ、こんな時に......!」

「こんな時だから、ですよ」

噛み付かんばかりに吠える男を前に、ミルフィーユは屈託無く笑った。

「たぶんこれ、最期です。私、たぶん、帰って来ません。だからこれが、私が親方さんに

渡せる最期のお菓子です」

親方は、穴が開くほどジッと彼女の顔を覗き込んだ。

一点の曇りも無い、その天真爛漫な笑顔を。

「出る気なのか?」

「はい。緊急出動でここに来たって言ったじゃないですか」

さあ、とミルフィーユは箱を差し出す。

だが親方は、嫌悪もあらわに腕を振り上げた。

「呆れ果てたぜ......ガキの感傷につきあってられるか!」

「あっ......」

腕がなぎ払われる。差し出した箱は無残に吹き飛ばされ、床に落ちて潰れる。

ミルフィーユは悲しげに箱を見つめ――――再び相手を見上げる。

「やっぱり、ダメですか?」

「話し掛けんな。あんまナメてっと終いには剥くぞ、このくそアマ」

「......そうですよね、私も都合よすぎかとは思ってたんです。最期だからって、

どさくさ紛れでチャラにしようなんて......」

「分かってんじゃねえか。......さあ、こんなとこに居ないで、優しい艦長さんに

でも慰めてもらって来な。......外で無駄死に

するより、なんぼかマシだろ」

「............」

うなだれて唇をかみしめる少女の姿に、親方はそう言って背中を向けた。

不愉快な相手を沈黙させた暗い悦びと、同時になぜだか湧き上がる空しさ。

自分の言葉どおり、今度こそ、この小娘も泣いて格納庫から飛び出していくものとばかり

思っていた。

「――――なーんてねっ」

予想は見事に裏切られた。

自分を苛立たせる、あの底抜けに明るい声。驚いて振り返ると、そこには変わらぬ笑顔が

あった。

「こんなこともあろうかと、今回はちゃーんと予備を作っておいたんです」

「なっ......!?」

今度こそ絶句。

なぜだ? なぜこいつは、こんなにも......。

「と言っても、部屋に置いたままなんです。ドアは開いてますから、後で行って、食べて

下さいね」

「お、お前は......! 後っていつだ! 後なんてあるわけが」

「ありますよ。それくらいの時間、私が作ってみせます」

ミルフィーユは少しずつ後すざり、彼から身を放しつつあった。

そこで親方は、初めて気がついた。

「......あれだけは......あれだけは......絶対に食べてください

ね......」

彼女が笑顔のまま、目だけに涙をいっぱい溜めていることに。。

「白雉女が、一生で一番真剣につくった、最高傑作ですから!」

「待......!」

呼び止める間も無く、彼女はくるりと身を翻して駆け出していた。

紋章機1番機――――ラッキースターめがけて。

絶望色に染まった巨大スクリーン。

そこに突然、小さなウィンドウが開く。

『あーっ、みなさんそんなとこにいたんですかぁ?』

同時に響く、余りにも場違いな明るい声。

全員がギョッとして見上げると、通信を入れてきた相手はミルフィーユだった。

『今日は私が一番乗りだったから、びっくりしちゃいました』

「ミルフィー......あんた、どこに......」

フォルテが驚きの余り震える声を絞り出す。

ミルフィーユは、ほえ? と左右をキョロキョロ見て、答える。

『どこって、ラッキースターの中ですけど。だって緊急出動かかってますよ?』

「そうじゃなくって! 状況を聞いていないんですか?」

『う〜ん、みんなおんなじ事を訊くんですねぇ。さっきも親方さんに怒鳴られちゃいまし

た』

「ミルフィー、妖星乱舞って知ってるわよね? 士官学校で、試験のために一夜漬けし

て、2人で必死に覚えたわよね!?」

『あはは、そんなこともあったあった。懐かしいねぇ』

「......なのに、どうして......」

口々に言葉を交わすエンジェル隊の面々。

そしてタクトが顔を上げ、話し掛けた。

「ミルフィー、悪いけど、緊急出動は中止だ」

『ええっ? そうなんですか? だからみんな、そこに居たんだ』

「ああ、連絡が遅れてゴメン。だから君も、ここへ来るといい。みんなで一緒に居よ

う......」

『――――嫌です』

ニッコリ笑顔のまま、ミルフィーユは首を横に振っていた。

唖然とするブリッジ一同。

「ミ、ミルフィー、いま何て......」

『嫌だって言ったんです。恐縮ですが艦長、私、桜葉少尉はあなたの命令を拒否します』

「どうして......」

『だって、逃げられないんですよね?』

「そうだけど」

『なら、戦うしかないじゃないですか』

あっけらかんとした口調だった。

皆は一瞬言葉に詰まる。

そして我に返り、それぞれ口を開こうとしたその時。

ドガアアアァァァッ!

艦が小さく揺れた。

通信オペレーターのアルモが、慌てて言う。

「格納庫に被弾、小火災発生! ラッキースターが......は、発砲しました!」

「なっ......!?」

タクトが驚いて見上げる先、ミルフィーユは穏やかに微笑んでいた。

『ハッチを開けてください。ラッキースター、出撃します』

「ミルフィー......」

彼女は本気だった。

タクトはこみ上げてくるものを堪えるようにジッと唇を噛み――――やはり、首を横に振

る。

「ダメだダメだ! 出撃なんてさせない! こっちへ来るんだ!」

艦長としての言葉ではなかった。

どのみち死ぬしかないと分かっていても、彼女が先に死んでいくのを見るなんて耐えられ

ない。

一緒にいたい。傍に居てほしい。

エンジェル隊の皆も、口々に彼女を説得している。

だがそこで、アルモがまた、今度は悲鳴のように叫んだ。

「ハッチがオープンを始めていますっ!? 何者かが、手動でハッチを開けています!」

「なんだって!? 閉めるんだ、早く!」

「やってます! でも操作系が沈黙、格納庫のコントロールパネルでコードが切断されて

います!」

「どういうことだ......格納庫の制御室に通信を開け!」

スクリーンの中で、ミルフィーユの隣にもう一つウィンドウが開く。

格納庫の制御室を映すそこには、パネルから引きずり出されて数本のコードが切断されて

いる様と、脇のハンドルを一心に

回している男の背中があった。

「親方さん......」

嬉しそうなミルフィーユの呟き。

手動でハッチを開けようとしている犯人は、整備班の親方であった。

彼は気付かれたことを悟ったのか、モニターを振り返る。そして、パネルの上に置いてい

たそれを取り上げる。

彼自身が弾き飛ばし、床に落ちて潰れたはずの、あのお菓子箱だった。

逆さにして、振ってみせる。細かな菓子くず以外、何も落ちてこない。中身は空っぽだった。

「部屋に、新しいのがあるって......言ったじゃないですか......」

感激に声を震わせるミルフィーユ。

親方は一言も声を発することなく、再び背を向けて一心不乱にハンドルを回し始める。

ミルフィーユは、重荷を降ろしたように、ふっと体の力を抜いてシートに背をあずけた。

親方さんが頑張ってくれているが、いかんせん手動だ、少し時間がかかる。

束の間の時間。

彼女は再びモニターに映る仲間を見やる。

『みなさん、見ててくださいね。強運娘の真髄、その目にしかと焼き付けろ、です』

絶句する仲間達に微笑を残し、続いてタクトに目を向ける。

『タクトさん』

「ミルフィー......」

タクトはもはや、涙を堪え切れていなかった。

『私、幸せでした』

ミルフィーユは。

そう言って。

とても綺麗に、微笑む。

『まるで夢みたいでした。まさかこの私に、こんな幸せな日々が用意されていたなん

て......』

「ミルフィー、駄目だ、駄目だ、行かないでくれ......」

『運命に振り回されるだけで、何もできず、抗うこともできず......私は無力で、

惨めでした......』

穏やかに。

歌うように。

彼女は言葉を紡ぐ。

『自分を見失って、やつあたりしちゃったこともあります。ほんとうに、ダメな子です』

「違う......違う! オレはこんなことさせるために、君と出会ったんじゃないっ!」

『でも、こんな私にも、友達ができました』

嬉しそうに。

誇らしげに。

『......いっちょまえに、恋もできました......』

何の嘘もなく。

何の無理もなく。

『いろんなことがありましたよね。どれだけのピンチや苦しさに晒されて、何度負けそう

になったんでしょうね......。

ほんとうに......「苦難多かりし 我等が人生」......』

精一杯生きてきた日々を、後悔などしていないと。

夢の終わりに、後ろなど振り返らないと。

『それでも......』

笑っている。

それはまるで、泣きながら探し続けていた宝物を、やっと見つけたかのように。

『私は、幸せでした』

ついに――――

ハッチが完全に開いた。

目の前に広がる宇宙空間。

闇へと続く路。

『タクトさん、さっきの今で申し訳ないんですけど』

最後に、ミルフィーユは言った。

『命令してもらえませんか? あなたの声で送り出してくれたなら、私、元気で行けるよ

うな気がするんです』

「............」

そうだった。これが彼女だった。

自分が魅かれてやまない、これこそがミルフィーユ桜葉だった。

止められない。

もう、彼女を止めることはできない。

ならばせめて。

憂い無く送り出してあげよう。

みっともなくていい。

ここで言ってあげなきゃ、自分という存在は屑ほどの価値も無い。

「ラッキースター......ミルフィーユ桜葉......」

震える涙声。他人の耳には言葉にすらなっていないのかも知れない。

男のくせに。彼女はあんなにも気高いというのに。

構うものか......

彼女に、自分の決意が伝わりさえすれば、それでいい。

「出撃だっ!!!」

            ♪     Amazing grace, how sweet the sound,

 

                 (大いなる恵み いと優しき調べよ)

クロノストリングが、咆哮を上げる。

スロットルを倒そうとしたミルフィーユの耳に、通信が入る。

『小娘! やばくなったら無理しねえで、すぐに帰って来い!』

親方の声だった。

見れば制御室のガラスの向こうで、マイクを握り締めた彼が必死の形相で呼びかけてい

る。

『どんなに壊れてても構わねえ、俺が1分で元通りにしてやる! そしてまた送り出して

やる!』

うそばっかり。1分でどうやって直すというのか。

ミルフィーユはクスリと笑って、元気良く肯いた。

「――――はいっ! お願いします!」

                  That saved a wretch like me.

 

                  (傷持てる我を救いたもう)

ランファが拳を壁に叩きつける。

「あのバカ......あのバカ......! この私をコケにしたわ

ね......っ!!」

フォルテは悠然と腕を組み、ミントがその隣で不敵な笑みを浮かべる。

「一人でかっこつけて、私達にはここで指をくわえて見ていろ、と」

「気を遣って頂けたんでしょうけど、面白くありませんわね」

そしてヴァニラが、物言わぬ瞳でタクトを見上げる。

「......タクトさん......」

タクトの腹は決まっていた。

ミルフィーユに命令を下した瞬間に、すべて吹っ切れていた。

「みんなも、行くのか」

「結局ね」

ランファが肩の髪を後ろになびかせ、踵を返しながら答える。

「あの子が先に突っ走って、私が後始末に駆けずり回る......結局、そういうこと

になってるのよ」

「やっぱりお上品に死ぬなんて、できない性分なのかねぇ」

「行ってきますわ。ひとりになって泣かないでくださいね、艦長」

「......神のご加護を......」

タクトはシートに深くもたれ、4人の背中を見送った。

――――不思議だな。

いつもそうだった。彼女達の背中を見送る度に、胸に広がる安心感。

大丈夫だ、と。

なぜだろう? 今度ばかりは万に一つの勝ち目も無い戦いなのに。

変わらず胸に去来する、この安らぎは......。

                 I once was lost but now I'm found,

          

                   (迷える時 道は示され)

「タクト......」

4人がドアの向こうに消えてから、これまで沈黙を保ってきたレスターが、静かに言っ

た。

「賽は投げられた。俺たちが、ここにこうして座っているわけにも行くまい」

「ああ......。俺たちも、戦おう」

2人は、合わせたように同時に立ち上がる。

策など無い。

この2人の頭脳をもってしても、打つ手がただの一つも無い。

だがそれでも自分達は、彼女達の上官だ。

高貴なる天使たちの指揮官だ。

彼女達の物語に、汚点を残すような振舞いだけはするまい。

この身は無力でも。この心は臆病でも。

戦おう。

彼女達と共に戦える――――それを誇りとして。

                  Was blind but now I see.

                 (盲いた目は いま開かれん)

                    第2楽章

光芒一閃。

隕石群の一部が瞬く間に砂塵と化す。

が、意味は無い。まるで細胞が増殖して傷を塞ぐかの様に、隕石群は変わらぬ姿に戻る。

「すごいな......」

ミルフィーユは感嘆ともつかぬ呟きを洩らした。

飛び出したと同時に初弾発射。ビーム砲とレールガンの二刀流で、この至短時間に何発叩

き込んだことか。

なのに隕石群は、意に介した風も無く悠然と接近してくる。

レーダーは、最大広域まで拡大しても『障害物』の色彩一色。

どこからが始まりで、どこまでで終わりなのやら。

理不尽なまでの戦闘空域。存在自体が暴力的な、巨大すぎる相手。

妖星乱舞の伝説の意味を、ミルフィーユは肌で感じていた。

こんなの勝てるわけがない。絶望を通り越して笑えて来る。

銀河中でいちばん面白い冗談だ。

『ミルフィー! またんかいこらーっ!!』

「えっ......?」               

                 'Twas grace that taught my heart to fear

                   (恐れを授けたるも大いなる恵み)

「みなさん......来ちゃったんですか......」

『えー来ちゃいましたよっ! 文句ある!?』

「ダメですよ......最期の時は、好きな人の傍に居ないと......」

『あんたがそれを言うかねぇ?』

「バカですよ、みなさん......」

『その言葉、そっくりそのままお返し致しますわ』

「でも......ありがとう......」

『私達は、チームです......』

『観念しなさいミルフィー、あんたが嫌がったって、地獄の底まで付きまとってやるんだ

から!』

悪魔の暴風の中で、紋章機が雄々しき純白の翼を広げた。

                 And grace my fears relieved.

                (恐れより解き放てるも大いなる恵み)

「全速前進、座標37524−08116! 全砲門開け、初弾のみ統制、事後はエネル

ギー充填完了次第、各個に撃て!」

エルシオールの艦長に就任して以来、初めて――――。

タクトが隣に居るレスターを抑えて、最初から自ら指揮を執り命令を下した。

「クロノドライブ、エネルギー充填開始しますっ!」

オペレーターが気転を効かせてパネルを操作しようとする。

が、タクトはそれを抑える。

「どうせ間に合わない、不要だ。エネルギーはすべて、対空迎撃の弾丸と変える」

「妖星乱舞とまともに打ち合おうっていうのか!?」

驚いて声を上げるレスター。

その返事は、タクトの獰猛な笑みだった。

「レスター、ルフト先生の授業、覚えているか? 俺はほとんど寝てたんだ

が......この言葉だけは感動したんで、今でも覚

えているんだ。『いかに策を尽くしても、戦場で最後にものを言うのは』......」

「......『戦う当人の気迫』......」

「そういうことだ」

レスターは一瞬、呆れた顔をするが。

やがて、フッと悟りきった苦笑を浮かべる。

「尽くす策も無いがな......。伝説の妖星乱舞と、真正面から打ち合い

か......面白い......」

「だろう?」

レスターにとって、学生時代以来だった。

久々に胸に湧き上がる、『武』の鼓動。 

そう――――彼らはあくまで、戦士なのだ。

「やるか......!」

「ああ......!」

そして2人は同時に叫ぶ。

『妖星乱舞上等!!』

                 How precious did that grace appear,

                   (其に触れる 万感の歓びよ)

横殴りの直撃を受け、トリックスターは大きく軋む。

「痛っ......! ......うふふ、お盛んですこと......」

顔に濃い疲労の色を浮かべながら、それでもミントは妖艶に笑ってみせる。

膨大な数の隕石群を、すべて破壊するのは不可能だ。彼女はピンポイントで、致命傷にな

りそうな大きさの隕石のみを狙っていた。

しかし小さな隕石とて、直撃されればダメージ0というわけにはいかない。

徐々に、しかし確実に、トリックスターのシールドは削られつつあった。

他の紋章機も同じである。何より、機体よりも先にパイロットの精神力が蝕まれれつつ

あった。

集中力の消耗。それは一瞬の隙を生み、死へと直結する。

「!? ......しまっ......!」

撃ち損じた隕石が目前に迫る。

ミントは思わず目を閉じる。

カッ――――

が、寸前のところで一条の光が走り、隕石を砂塵と変えた。

同時に彼女を追い越して行く、1機の紋章機。

「ミルフィーさん」

ラッキースターが最前線に踊り出て、ビームを乱射する。

いや――――乱射に見えて、そうではない。

ミントは驚愕に目を見開いた。ビームのことごとくが、本来彼女が狙うような危険な隕石

のみを貫いていくのだ。

「なんて見事な......!」

彼女は我知らず、嬌声にも似た声を上げていた。

彼女の計算よりも速く。トリックスターの捕捉よりも疾く。

敵を討ち果たしていくその姿。

「ミルフィーさん、あなたこそ......エースですっ!」

                 The hour I first believed.

                 (信じよう 我が身にも祝福はあるのだと)

             

                        最終楽章

               

3度目の補給に帰艦したラッキースターは、まるで倒れ込むように格納庫に突っ込んで来

た。

すでにおびただしい被弾の痕にまみれている。

メカニック達がホースで放水して機体を冷やすところから整備を始めている中、いち早く

親方は脚立をかけ、コクピットに駆け上が

っていた。

「小娘、大丈......ウウッ!?」

喉が潰れたようにくぐもった悲鳴を上げる親方。

コクピットの中が、深紅に染まっていた――――。

                 Through many dangers , toils and snares

                (幾多の危難、労苦、堕落への闇をくぐりぬけてきた

ことか)

それはブリッジにも急報される。

「パイロット負傷、桜葉少尉が......重傷です......」

タクトは振り返る。

「通信、つなげるか」

コクピットへとコールがかかる。

繋がるまで、かなりの間があった。

「はい......タクトさん......?」

なぜか画像は送信されず、音声のみだった。

「やあ、ミルフィー。調子はどうだい」

「元気いっぱい......ですよ? タクトさん......変な事、訊きます

ね......」

「君の顔が映らないから、分からないんだ。映像入力の故障かな?」

「あはは......。きっと......そうですよ」

息遣いが浅い。

喉の奥からヒューヒューという笛のような音が鳴っている。

この、故意にカットされてノイズまみれな画像の向こうで、彼女はどんな姿でいるのか。

                 We have already come.

                (苦難多かりし 我等が人生)

「第7ミサイル群に被弾! ミサイル群大破!」

「5番副砲、完全に沈黙! 砲座との連絡が途絶えました!」

悲愴な報告が次々と飛び込んでくる中、タクトはミルフィーユに語りかける。

「行けるかい? ミルフィー」

返ってきたのは、うわごとのような呟きだった。

「みんな......すぐに行くから、がんばって......」

「ミルフィー?」

「シヴァ皇子......きっと......ご無事で......」

「ミルフィー、ミルフィー?」

「......さん......大好きです......」

最期の言葉を交わすことなく――――。

発進のカウントダウンさえ聞こえていなかった様子で。

ラッキースターは再び飛び出して行った。

「ミルフィーーーーーーーッ!」

                 'Tis grace have brought me safe thus far,

                 (大いなる恵みに導かれ 今日の日まで長らえた)

                    ......タクトさん......

                    ......大好きです......

                   ......いちばん いちばん......

                   ......ええ、約束です......

          

                   ......生まれ変わっても......

                   ......きっとまた お会いしましょう

ね......

 

             ―――― And grace will lead me home.      ♪

 

                (きっといつか あの日へと帰ろう)