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第一章 穿たれた心


暗黒の 海にたゆたう 双子月
袂を分かち 互いを喰らう
光の月は 縁の月
夢を集えて 矛と成し 絆を繋いで 盾を成す
闇の月は 絶の月
悪夢を集えて 剣と成し 虚無を練り上げ 鎧とす
未だ知られぬ 朱の月
光と闇との 血肉を 継ぎし破滅の 放浪者
光と闇は その陰を
眠れる奈落を知らぬまま

〜惑星シリスの伝承歌〜

 

オレは未だかつてこれほどの絶望と、虚脱感に見舞われたことはなかった。思えばあの姉妹が自らを思い出としたのも、人間になりきれなかったあの少女が、守るべきだった多くの人間でありながら自らを捨てたものたちの歪んだ理想に立ち向かったことも、そしてすべてを否定しようとして、最後まで心を捨てきれなかった堕天使のことも、すべてはオレたち人間の、宇宙にその版図を広げるまでに発達したその文化や思想でも、おおよそ関知することの出来ない大きな力、そう例えば台本という筋書きから逃れられない悲劇のように、言うなれば宇宙の意志とでも言うべきものがオレ達を束縛していたのではないか。そう思うことがつい最近までしばしばあった。だが、あれは夢だったのだ。いや、夢でなければならなかった。たとえどんなに寝覚めが悪くとも、たとえどんなに記憶があやふやでも、少しでも、少しでもいいから、彼女らのいた時間がこれ以上もなく魅力的で輝いていたものだと思い、懐かしむことが出来れば、それだけで良かった。でも今はそれさえ叶わない。
だから・・・・・・、だから今言おう。君たちとオレ達の儚く脆い絆が絶たれてしまわないうちに。少しでも縁のあるうちに。薄っぺらな言葉かもしれない。在り来たりだと笑われたっていい。オレ達は君たちと居られて幸せだった。この上なく満ち足りていたと、胸を張っていえる。だからこそ聞きたい。君たちにとって、オレ達と過ごした時間はどんなものだったのか。どんな答えだってかまわない。最後に、聞かせてくれ。君たちはどんな気持ちだったんだい?
 
さっぱりとした生活感を感じさせないような広い部屋。扉から向かって一番奥に当たる辺に豪奢な椅子と、それを囲むように半円形の机がある。背もたれに体を預けた紺色の髪の青年がどこか焦点の定まらない瞳で天井を見つめていた。今日は珍しい事にこなさなければならない仕事はすでに完了している。なのでこの青年、暇を持て余しているのである。時刻はちょうど正午を回ったところである。(腹が減ったな・・・・・・)そう思いながらも、なかなか動こうとしない。身じろぎしたかと思うと、深く座り直し、また滑るように浅く座り直し、しばらくの間そんなことを続けたかと思うと、ようやく青年はまるで椅子に根付いてしまったかのような重い腰を上げた。
食堂へ向かう道すがら、彼は飽きもせず、ずっと儀礼鑑エルシオールの幅の広い天井を見つめていた。端から見ていると、特に意味もなさそうな行動だが、彼にとっては特別な意味を持っているのだろうか。食堂に入り、食券を買って、昼食のラーメンを受け取り、席に着くまでずっと天井を見つめていた。
大盛りを頼んでしまったせいか、食事は遅々として進まず、半時間かけてようやく食べきることが出来た。完食の余韻に浸り、さあ食器を返さんと、カウンターに向かう青年は、赤髪をした長身の女性を視界の端にとらえた。向こうもそれに気づいたのか、青年に近づきながら話しかけてきた。「お、タクトじゃないか。ちょいと遅めの昼食かい?」「まあそんなとこ。フォルテはどうして食堂に?」「あんたと一緒さ。ちょいと小腹が空いたんで、何か軽いモンでも作ってもらおうかと思ってねぇ。」「そっか・・・」心ここにあらず、といった口調でタクトは相づちを打った。「おや、体の調子でも悪いのかい?」少し心配そうに聞くフォルテ。さすがに、いつもどこか抜けてるようなタクトでも、ここまでひどかったことはない。心配しない方がおかしいだろう。「いや・・・、実は最近変な夢を見るようになってね・・・暇ならちょっと聞いてくれるかい?」「いいよ。じゃあ腹の足しになるモン作ってもらってくるからその辺に掛けといとくれよ」
「そんじゃあ、話してもらおうかねぇ。アンタの観た変な夢とやらを」「ああ、それじゃ、話させてもらおうかな」
その日タクトは、いつもと変わらない時間を過ごしているはずだった。朝起きて朝食をとり、みんなと楽しくおしゃべりをし、昼食を挟み、自分の部屋で、マイペースに仕事をし、レスターに仕事が遅いと怒られ、夕食をとってシャワーを浴びて、就寝。〈何かろくな過ごし方してないなぁオレ〉〈そう思うんならもっと効率よく生きる方法を考えるんだね、ほら、続き続き〉ただ、一つだけ違ったことはタクトの頭上に、常に黒い孔がつきまとっていたと言うこと、その孔は時間を経るごとにどんどん大きく拡がっていったと言うこと。そして、その孔は自分以外には誰にも見えなかったと言うこと。そして、ソファーに横になったときはその孔は既に天井を覆い尽くすほどの大きさになっていた。その事実に気づきはしたものの、時は既に遅く、タクトは闇に呑まれた。
「これが1日目の夢さ」「げっ、続くのかい!?・・・・・・まぁいいさ、最後までつきあうよ。ところで、アンタ何日ぐらいその変な夢を見続けてるんだい?」流石のフォルテも、タクトの話が意外に長いことは想像がつかなかったらしく、安請け合いしたことを少し悔やんだ。「5週間ぐらい・・・かな」「5週間!?アンタそりゃちょっとまずいんじゃないのかい?ケーラ先生のカウンセリングを受けたらどうなんだい」先ほどは少し面倒だと思ったフォルテもタクトが意外に重症だと知ると、本心からそう勧めた。「もう何度も受けたさ。それでも問題なしだってんだから、手の施しようがなかったんだよ」「アンタ・・・・・・、何で今までそんなことを黙ってたんだい?」「みんなに余計な心配掛けたくなかったからね」「ッ・・・・・・」嘘でも詭弁でもなく、本当にそう思っているのだから始末に負えないのだと、彼の親友であり、最も優れた副司令である、レスターならばそう言ったことだろう。「馬鹿なことお言いでないよ。アンタはアタシらの司令官なんだから・・・そういうことはちゃんとみんなに言っておかないと手遅れになる・・・」「すまない」タクトは俯いて一言、漏らすようにそうつぶやいた。「・・・とにかく、夢の続きを聞かせてもらおうじゃないの。みんなに報告するのは、その後だ」
辺りは漆黒の闇。限りなく続いているように見えるが、もしかしたら自分のいる周りまでしか空間はないのかもしれない。距離感、方向感覚、平衡感覚、心、そして体までもが蝕まれていきそうな、暗い、暗い、闇。闇という空間があるのか、自分の周りの空間が無くなってしまったのか、それとも自分さえも暗闇になってしまったのか、今のタクトには知る術はなかった。(目が見えなくなるってこんな感じなのかな・・・)などと考えながらも、タクトは徐々に視界に馴染みつつある暗闇に、ぼんやりと目を向けていた。むろんどこに目をやっても暗闇しかないのだが。抜け出す方法を考えるか、夢の中でもう一度眠るか、考えた末にタクトは後者を選んだ。とりあえず自分が今立っていられると言うことは、そこにも寝転ぶことが可能である、とそう考えたタクトは人目を憚る必要も無くその場に身を横たえた。元々怠けるのが得意なタクトは、周りが暗闇であることもあってか目を閉じずともすぐに眠気が彼を襲った。うつら、うつら、と微睡み始めたタクトは耳に奇妙な違和感を覚えた。
耳を澄ませると、どうやらこの暗闇には自分以外に誰か不特定多数の人間がいるらしいことがわかった。そのことに驚いたためか、タクトに眠気は残っておらず、することもないのでとりあえず声のする方に向かってタクトは歩き始めた。
しばらく歩くと、遠くの方に2つの白い明かりが見えた。(2人いるのか?)自分の夢とはいえ、相手が誰だかも分からないのでタクトは慎重に足音を忍ばせて近づいた。光の中には1人ずつ少女がおり、タクトから向かって右側の少女は純白の衣を纏い、穏やかな笑みを顔に浮かべ、そして目には暖かみのある強い光が宿っていた。一方、左側の少女はというと、先ほどの少女とは対照的に周りの闇にとけ込んでしまいそうな漆黒の衣、目は虚ろで顔に血の気はなく、何よりも幾多の修羅場を乗り越えてきたタクトでさえ戦慄してしまいそうな、そんな冷たい表情であった。だがその二人の異様で対照的な姿よりも、彼の目を奪ったこと、それは彼女らは2人とも体中が傷だらけだったのである。痛々しい傷跡から血を滴らせ、彼女らは互いの手を取り合い見つめ合っていた。その様子を見ながらもタクトは、その場から一歩も動くことが出来なかった。二人の少女から流れ出た血は、地面に溜まり、明らかにこの世のものとは思えない雰囲気を発し暗闇に花が咲くかのように広がっていった。
しばらくそれに見とれていたタクトが正気を取り戻すのと、地面の血に異変が起こるのはほぼ同時だった。深紅の花はまばゆいほどに輝き、影が実体を持ち始めたかのように地面から盛り上がり、起きあがり、やがてそれは一人の少女となった。全身が朱で統一された少女は、その整った顔を、見るものを魅了する、そして同時に体の芯まで底冷えさせてしまいそうな、恐ろしいほど綺麗な、心の底から愉快そうな笑みを顔に満たしていた。
「な、なんだかずいぶんと気味の悪い話になってきたねぇ。この後もずっと続くのかい?」フォルテは血の気の引いた顔をタクトに向けた。「いや、三日目はさっき言った朱い少女とひたすら見つめ合って・・・・・・・・・」「ずっと・・・かい?」「あぁ。それからはまた1日目のからやり直しさ」タクトはどこか達観したような表情でそう言った。事実、彼は心のどこかであきらめている節があった。「アンタのいつもよく当たる勘なんじゃないのかい?」「あぁ、たぶんそうだろ。でもこんなのは今までになかったことだし・・・・・・」「覚悟を決めておいた方がいいかもねぇ」「そうだな・・・。今度何か起こるとしたら、今までのものとは比べものにならないほどのいやなことが起こる・・・・・・」深刻な顔をして下を向いている2人に近づく者がいた。長身痩躯で銀髪の片眼鏡を掛けた男、この艦の副司令にして、タクトの補佐役、そして彼の唯一無二の親友であるレスター・クールダラスその人であった。「お、2人して昼飯か?珍しい取り合わせだな」「そう言うレスターこそブリッジを離れるなんて珍しいじゃないか」確かにタクトがフォルテと2人きりになることも珍しいが、レスターが何も言わずにブリッジから離れるなどと言うこととは比べものにならないほどありふれたことだった。事実、彼はいつも不在の司令官に代わってたいていの雑務はこなしてしまう上に、何かあったときのためにブリッジで寝泊まりしているらしい。そんな彼が、通信も入れずにブリッジから離れることなど、今までに1度もなかった。そしてそんなことはあってはいけないのかもしれなかった。「あぁ、たまには気分を入れ替えようと思ってな。ここ最近はおかしな事が重なっているだろう?データに目を通すだけでも一苦労だ」「皇国艦隊の失踪事件だね?」フォルテの確認するような口調は、そのことを彼女が知っていることに他ならなかった。「お前・・・、何故そのことを知ってる?」「この間、ブリッジの前を通りがかったときに、言葉は悪いが、いわゆる盗み聞きをしてしまったんだよ」レスターとタクトは思わず顔を見合わせた。彼女はそんな素振りは全く見せなかったからだ。
皇国の上層部の、しかもほんの一握りしか知らない情報が、たとえ身内とはいえ盗み聞きされてしまったのは、うかつとしか言いようがない。「でも・・・、そんな重要なことを何故アタシらに言わなかったんだい?責めてる訳じゃないが、今回アタシらがこんな辺境に来たのもそれが原因だろう?」「秘密にしておくことはオレが決めたんだ」「おいタクト・・・」「いいから。レスターはちょっと黙っててくれ。これはオレの問題だ。」少し語気を荒くして、彼はレスターを制した。その顔には先ほどまでの覇気のない表情ではなく、目には凛とした光が宿っていた。「で、どうして?」「せっかくの休暇の途中だ。新たな驚異となるヴァル・ファスクの招待をしただけでも動揺したというのにこれ以上君たちに負担を強いるわけにはいかなかったんだ。未確認宙域に近かったし、こちらと連絡が取れなくなってるだけかもしれなかったからね」「アンタ・・・優しすぎるよ。でもそんな優しさはあたし達に不要だと言うことも分かってるはずだろ?」それを聞いたとたん彼の表情はさっきの物に戻り小さく「確かにそうだな・・・オレ、疲れてんのかな」とポツリとつぶやいた。「・・・アンタさっきしれなかった、って過去形で言っただろ。もしかしてもう既に・・・」「あぁ、艦隊と確認がとれなくなった場所に高エネルギー反応を感知した。局所的な時空震と見て間違いないだろう」すっかり元気のなくなったタクトの代わりに、レスターが答えた。その回答はフォルテにとって衝撃が大きく、また彼女の仲間であるエンジェル隊のメンバーもそうなるであろう事は容易に想像がついた。「で、話を戻すけど、何でお前艦内放送使わなかったんだ?」「実は通信装置の調子がおかしいらしくてな・・・全く使い物にならなくなってる」「・・・でもクロノクリスタルがあるだろう?」「試してみろ、そっちも駄目だ」フォルテとタクトは試しに互いを呼び合ってみたが、クロノクリスタルは、何の反応も示さなかった。このとき、タクトは背中に冷たい物を感じた。それは彼自身の冷や汗だったのかもしれないが、彼にはそう受け取れなかった。魂が、心が、精神が芯まで冷え切ってしまったかのような錯覚を覚えたのである。(もしかしたら・・・・・・)タクトは顔から血の気が引くのを感じ、体中を稲妻が駆けめぐったような戦慄を覚えた。彼の尋常ならざる様子を見てさすがのレスターも心配そうに彼を見やる。「おい、大丈夫か?別にお前に無理をしてもらわなくてもいいんだ。調子が悪いなら医務室に行ってこい」「!・・・っいや、大丈夫だ。ブリッジに行けばいいんだな?」レスターの言葉ではじかれたように意識を取り戻したタクトは、平静を装ってそう言った。実際は誰の目から見ても明らかな疲労の色が、彼の顔に浮き出ていた。「お前ら・・・さっきから様子がおかしいが何かあったのか?」「それはフォルテに聞いておいてくれ。それじゃ、行ってくる」「あ、おいタクトちょい待ちなって!」背中の方から聞こえてくるフォルテの言葉を受け流し、おぼつかない足取りで、彼はブリッジの方へ歩いていった。
「あ、マイヤーズ司令。珍しいですね、司令官みたいなコトするなんて」ブリッジのドアをくぐり、真っ先に聞こえてきたのは司令官に対する言葉としてはらしくないものだった。それほどタクトが普段から司令官らしくなく、またこのエルシオールが特別な空間であることを物語っている。発したのはエルシオールのオペレーター2人組の活発な方の少女。明るい藤色の髪を短く切りそろえ、元気が有り余ってにじみ出てきているような、そんな少女。名前はアルモという。「駄目よアルモ。対外的には、世間的には、一応司令官なんだから」たしなめているふりをして、一緒に辛いことを言うこの少女は先ほどの少女とは対照的な、静けさに満ちた少女だった。栗色の長い髪を大きく三つ編みにして、顔には大きな眼鏡がかかっている。ココという少女だ。「レスターに頼まれてね。なんだか通信装置の調子がおかしいみたいだけど具体的にはどんな感じなんだい?」とりあえずここに来たからには仕事をせねばならない。どう言われようと、何を思われようと、大半は彼に非があるのだから。そして彼は司令官であるからだ。
「あ、はい。全く機能しないんですよ。クロノクリスタルも使い物にならないし・・・ねぇ、ココ」「ええ、まぁわたしたちはクロノクリスタルを使うことはまずありませんが・・・司令達が不便だし、何よりこれでは緊急事態に対処できません」「で、具体的にはどんな感じなんだ?」「それが・・・なんて言ったらいいのか・・・ココ、説明してくれる?」「いいわよ。通信装置自体は起動するんです。でもノイズのようなものがかかっていまして・・・」まだ何かあるのか、2人は伏し目がちに目配せをしていた。その視線は、少しの恐怖と、多くの疑念が含まれたものだった。「ノイズのようなもの?」「はい、それが・・・時々聞こえる泣き声と・・・」「いびきみたいなんです」ココとアルモは息のあった調子で順にそう言った。