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龍之宮サーカス


 ああ――詰まらない。

 黒板を眺めながら。
 授業を受けながら。
 学校にいながら。
 雑技団の一員として生きながら。
 この星に存在しながら、そんなことを考える。

 この頃の私――龍之宮餡は、どうにもこうにも現状に退屈していた。
 理由はと言えば。
 結果が見えてしまう。自分がどの程度まで伸びるのか、大体の見当が付いてしまう。
 そんなことだった。
 退屈というのは違う気もするが、かといって窮屈というのはもっと違うし。
 それはさておき。
 この頃の私は、そんな根拠すらない妄言を理由に努力という行為を放棄しつつあった。

 要するにガキだったのだ。
 なんのかんのと言ったところで、自分に甘い、その一言で全て説明できてしまう以上は。

 さて、ここで本題に入る前に私の家庭事情について少々説明しておくべきだろう。
 雑技団出身なんて、そうそういるものでもないだろうし。
 龍之宮サーカス、と言う芸能団体がある。トランスバール皇国を主な拠点とし、その近隣の星々へ巡業、公演するのが主な活動内容だ。
 サーカス、と言うよりは雑技団という方が語感としてしっくりくるほどには、私たちは身体能力に秀でていた。
 私たち、と言うからにはこの私とて例外でないのは当然であり、男性相手でもそうそう後れを取ったりはしない。
 が、私が一番得意としているのは『体が柔らかいこと』と、『何かを避けること』だ。
 一番と言いつつ二つ言ってしまったが、この二つは密接に関わっているので問題ない、多分。

 業界の異端児として名を馳せる『イトー・エスパー』の名言『理屈の上では可能です』の理屈の一つとして取り上げられたこともある『鞄の中に入る』ことも、私はさほど苦労せずにこなせる。
(ところで、『それを人は机上の空論と呼ぶんだよ』とか『あんた体積の計算しかしてないだろう』とかそんなことを言ってはいけないのはこの世界での常識である)
 また、それと平行して私の勘は異常に良い。
 今、こうして話をしている私の後ろから誰かが物を投げたとしても、完全に躱しきる自信がある。
 その避け方も多種多様で、スウェー(上体を反らす)から常人には不可能な体勢までなんだって可能だ。
 体の柔らかさ自体は、ここまで自慢げに語っておいて申し訳ないが、取り立てて特別なことではない。何しろ私の常識は雑技団の中にある。
 知人の中には、私の体を硬いと言い放つ猛者もいるくらいだ。
 幼い頃の私は、周りの皆がやっていることは自分も当然出来るものだと思っていた。
 無論今は出来ないが、もっと大きくなれば、自然と出来るものなのだ、と。

 だが、それは……何も知らなかった頃の話だ。

 この頃の私は、流石にもう、そんなことはなかった。
 この世界には人は空を飛べないとか宇宙空間で生きていけないとか、そう言う絶対的な決まり事があるらしいことを知っていた。
 自分はごくごく平凡な存在である、とか。
 世界は、そんなに明るいわけじゃない、とか。
 そんなことを。
 ……でも。

 それは理解すると言うよりは、知識として知っているだけだったに違いない。
 本当は、心のどこかではそれが偽であることを望んでいたのだ。
 そうでなかったら……

 いや、まだいいか。
 どうせ、すぐに話すことだし。
 そういうわけなので。

 今しばらく、私の語りに付き合ってもらおう。


 要するに……と前置きすることが許されるのなら、顛末を語ることなんて数行で事足りる。
 そもそも、冗長とか建前とかそう言った物が世の中に氾濫しているのは今更考えるまでもない真理であり、単なる事実の確認だけなら大体の事象は簡潔に表現できるものだ。
 だけれど、そんな風に省略できるほどに私は大人でもないし、大人だったとしてもするかどうかは怪しい。
 ひとまずは、無駄とか冗長とかそう言った言葉の存在を忘れるところから始めてみよう。
 両親が死んだことを、ただ死んだのだという事実だけの報告で済ませられるほどには、私は大人ではないつもりだから。

 それは、父の一言から始まった。
「来月の連休に、惑星ドーゲに行くことになった」
 家族の団らんの時にでも言ってくれていればそれは文句無く旅行計画ではあるが、生憎とここは雑技団の練習場である。
 即ち、その言葉は公演予定を皆に告げているのに他ならなかった。
 否応にも周りの空気に緊張感が満ちていく。それは幼い頃より慣れ親しんで――今更好きとも嫌いとも言うようなものではなく――、はっきりと私の一部になっている感覚だった。
 と同時に、奇妙な安堵感も感じる。それは慣れた空気を味わっているからでは、ない。それが一因になっているのは認めるけれども、それより何より――。
 先にも言ったとおり、私は天才などではない。だから、余計なことを考えている余裕はない。
 余計なことを考える余裕がないのだから、言うまでもなく余計なことを考えずに済む。
 私がこの世界に食わず嫌いと同じレベルで感じている厭気を、感じないで済むのだ。
 それは純粋に有り難いことだ……などという、私の感慨は誰の気にも留まらず。
 その後はいつもと同じように一つ二つと伝達事項を告げ、矢張りいつもと同じように父は皆と一緒に練習を始めた。

 練習と言うよりは訓練とか鍛錬とか言う方が正確に自分たちのやっていることを表しているのではないだろうか、そんな他愛もなさすぎることを考えながら、私は筋トレに取り組んでいた。
 周りには、私と同じ演目をこなす少女たちが同じように体から力を滲ませている。
 息を合わせる意味でも、互いを高め合わせる意味でも、練習の段階から同じことを同じペースでやるというのは確かに良いことだとは思う。
 問題は、その中に混じっている私にそんな競争意識はおろか仲間意識すら存在していないことだった。その頃は仲間意識のようなものを抱いているつもりではあったが、それは敢えて言うなら帰属意識とでも言うべきもので、仲間を仲間としてしか見ていないとでも言うのか……要するに、『仲間』の中に存在していた個を全て無視してただ『仲間』として連帯感を抱いていたのだった。
 今からすれば正直どうかと思う。普通に恥ずかしい。
 その時の私の中に有ったのは、ひたすらに義務感だった。例の退屈を紛らわさせるためにやるという目的も、厳然と存在してはいたが。それ以上に。
 言葉に表すことは残念ながら私には出来そうもないけれど、義務感に支配されていたのだ。
 つくづく、人生を楽しく過ごすために必要な大切な何かが欠けていたと思ってしまう。
 余裕とか、余裕とか。
 そして、私の目論んだ通りに時間は過ぎ去っていき、あっという間にその連休はやってきた。

 かのエオニア戦役における最初の攻撃が始まる、実に二日前のことだった。


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